不屈の母と子
2015年06月18日付 Prothom Alo紙


(5月31日付)ヤスミン・ナハルの携帯電話には次々と着信がある。ヤスミンもまた次々と電話に出る。顔には喜びの表情が浮かび、声は弾んでいる。誇らしげに吉報を語る。息子がSSC(中等教育修了試験)でGPA5を取ったとなれば、どんな母親でもこのようになるだろう! 
ヤスミン・ナハルの子育ての戦いは、巷にあふれる他の母親よりもずっときびしいものだった。息子は生まれつき歩くことができない。ある日は母の、ある日は父の懐に抱かれて学校へ行き来しなくてはならなかった。その息子、モハンマド・イムティアズ・コビルは、父母の辛苦と苦労を無駄にはしなかった。チョットグラムの名門校、カレジエイト・スクールに通うイムティアズは、今年のSSCでゴールデン5(全教科80点以上)を獲得した。
きのう土曜日の昼、カレジエイト・スクールを訪問し、この不撓の母と不屈の息子にインタビューを行った。ヤスミン・ナハルは語る。「いまどれだけ嬉しいか、説明しきれません。長い間の苦労が実を結んだのです。イムティアズの先生や同級生みんなにも感謝しています」。
ヤスミン・ナハルは、チョットグラムの市立クリシュノクマリ女子中高等学校で教師として勤務している。「生まれた時からイムティアズの両脚は曲がっていました。長期間の治療の後も治ることはありませんでした」。一家の実家はノライルのカリア警察区にあるが、ヤスミン・ナハルの夫、イナムル・コビルの仕事の都合で、2000年にチョットグラムへ移り住んだ。息子と娘が一人ずついる中で、イムティアズは兄にあたる。妹のサディア・コビルは幼稚園児だ。父は縫製工場のマネージャーだ。
イムティアズの成功の陰には、同級生の役割も大きかったと母は思っている。「お友だちは息子を学校へ連れて行ってくれたこともあるし、勉強面でも日ごろから協力してくれていました。先生方からも親身に接していただきました。皆さんのご協力で息子はGPA5を勝ち取ることができました」。
ヤスミン・ナハルによると、一家は最初、チョットグラムのラルカン・バジャルに居を構えが、息子の通学が大変だったことから、カレジエイト・スクールに近いマダルバリ地区に家を移したという。
イムティアズはJSC(初等教育修了試験)のときもGPA5の成績をおさめた。「体の障がいが妨げにならないような仕事を選びたい」と、イムティアズは将来コンピュータエンジニアになる夢を語る。
カレジエイト・スクールの教師クルシド・アリアはこう言う。「イムティアズは意志の強い子です。休むことなく授業に出席していました。ご両親は子どもの勉学のために、たゆまぬ努力を続けていらっしゃいました。この家族の成功は、人々に励ましを与えることでしょう」。

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(翻訳者:Todo Takuya)
(記事ID:426)