みのりさん帰国へ
2015年10月09日付 Prothom Alo紙

吉川みのりさんが日本に帰国する。しかし、彼女のこの帰国は前から予定されていたためでも、バングラデシュのすべてを見て落胆したためでもない。彼女の帰国は自分の意志に反したものだ。日本で学んだベンガル語をもっとよく身に付けるために、彼女がバングラデシュに来たのは、ほんの2か月ほど前のことだ。1年ほどバングラデシュに住み、ダッカ大の現代語学研究所でベンガル語のクラスに参加する傍ら、ベンガル人と話をしながら言葉の知識を蓄えるつもりだった。バングラデシュに1年間住み、留学のために必要な経費をまかなうために、日本の大学から奨学金をもらってこの国にやってきたのだ。その大学が、バングラデシュの安全状況が悪化しているので今すぐに帰国するように、と突然彼女に知らせてきたのである。
 みのりさんにとって、それは全く不測の事態というわけではなかった。なぜなら、バングラデシュに住む日本人が殺害された後から、ダッカの日本人大使館から、十分に警戒し、外出は極力避けるように、という指示を他の日本人と同様に、彼女も受け取っていたからだ。そうではあっても、始まったばかりの授業とバングラデシュの新しい友人たちを置いて帰国することを望んではいなかった。突発的に起こる他のいまわしい出来事のように、最近の痛ましい事件が及ぼす影響も一時的なものであり、生活も日常を取り戻すだろうとだろうとみのりさんは考えていたのかも知れない。
 おそらくそのために、この事件の後に大学から知らせを受け取ってみのりさんはフェイスブックに自分の心情をこんなふうにしたためたのだろう。「私は日本に帰国します。バングラデシュで日本人が亡くなったために、私の日本の大学が私のことを心配し、帰国するようにと言ってきたからです。しかし、私は帰国したくありません。バングラデシュが好きです。またここに戻ってきます」
 とても素直なことばだ。みのりさんのこうした気持ちに、バングラデシュ人に対する日本の一般人の率直な気持ちが現れていることは疑いようがない。だからバングラデシュのロングプル付近の村で、何者かによって年配のある日本人が殺害された残酷な事件のあと、日本の人たちはバングラデシュ人を非難したりはしなかった。バングラデシュの全てが突然悪くなってしまったとは言っていないのだ。
 星邦男さんの殺害事件の捜査が全く進展していないことを日本は憂慮し、怒りを感じている。バングラデシュには現在ビジネスや投資などで1000人以上の日本人が暮らしている。そのため日本国民の安全について日本政府は当然考えなければならない。短期間でこのような事件が繰り返し起これば、政府は一般の人々にきちんと説明をしなければならないだろう。先進的な民主主義国家としては当然のことだ。
 人々の支持を失うリスクを避けるために、前もって対策を行う以外に、何の代替案もないことを日本の政府と与党はよく分かっている。また、このために、イタリア人と日本人がたった数日の間に、ほぼ同じ方法で殺害されたのち、日本と西側諸国はバングラデシュについての警告指数を引き上げたのである。バングラデシュの危険度は、日本では今月の4日にレベル1から2に引き上げられた。それには、あくまで必要でないかぎり、その国に行くのを慎むように、という意味がこめられている。政府の与えたこの間接的な示唆が、日本人ビジネスマンにバングラデシュ進出の意欲をなくさせることは容易に想像がつく。結果として、バングラデシュの経済にネガティブな影響を及ぼすことが将来明らかになってくるだろう。しかしそれと同時に、最近起きたこのような事件で、すべての事件で間接的に損害を被るのは、みのりさんのようにバングラデシュと心の友情を築いた外国人たちもまた、間接的に被害を被っているのである。
このことに加えバングラデシュの原理主義者たちは国にもう一つ損害を与えていると言えるだろう。それは日本の若者世代が将来的にバングラデシュから遠ざかるという、ある種の傾向を作ってしまったことだ。日本では若者の間に、バングラデシュに関する意欲、関心がようやく生まれ始めたところだった。(ノーベル平和賞を受賞した)モハンモド・ユヌス教授が、グラミン銀行の活動を通じて、意欲という灯芯を灯すこと初めて成功したのだった。その後、国の経済が上昇し、その灯明はより輝きを増した。そのように変化してきた状況の中で、日本の有名な国立大学のひとつである東京外国語大学に、ちょうど4年前に4年間のベンガル語学科が誕生したのだった。毎年10人ほどの学生がこの学科に入学し、ベンガル語の傍ら、バングラデシュとインドの社会、経済、文学、歴史も学んでいる。みのりさんはそのベンガル語学科の3期生だ。将来バングラデシュと日本の2か国の交流において、この学生たちが、日本人の側から重要な役割を果たすことは間違いない。そのことから言って、大学時代から学生たちの心に生まれたバングラデシュに対する前向きな意欲、関心をさらにのばす手助けをすることで、将来の世界における日本とバングラデシュ2国間の関係向上に寄与することは私たちにも可能だ。
 今、不幸なことに、その扉が突然閉じられてしまったように思う。そうであっても、これはおそらく一時的なものだろう。なぜならみのりさんのようにバングラデシュを好きになってしまった日本人たちの存在を無視するようなことはできないし、そうした人たちの数は全く少ないわけでもない。しかし一時的なこの悪状況を克服するために、まずバングラデシュ政府が何らかの手段を講じなければならないだろう。そしてその手段というのは、なぜ、どのように、そしてどんな状況で日本人の星邦男さんが殺害されたのか、その謎を解き明かすこと、そして、このような事件が繰り返されることはないという確証を日本の人たちに示して見せることである。

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(翻訳者:加藤梢)
(記事ID:456)