お父さん、僕は無事だよ
2016年07月03日付 Prothom Alo紙

携帯電話に、ただ一件の着信があった。それを受けて、フォズレ・ロヒム・カーン・シャハリアルは泣き出した。この後、地面に膝をつき、泣きながら祈り始めた。
 金曜日の夜、グルシャンのホーリー・アーティザンレストランに銃で武装した数人が押し入り、バングラデシュ人や外国人を人質にとって立てこもっている――そんなニュースを聞き、アフタブ・グループの理事長シャハリアル・カーンは事件現場に駆け付けた。息子のタハミド・カーン(22)は金曜日の昼にカナダからダカに着いたばかりだった。
 金曜日の夜8時45分に人質監禁事件が始まってから、シャハリアル・カーンは現場の横の建物でただひたすら待ち続けた。落ち着かない気持ちでいろいろな人たちと携帯電話で話をした。治安維持部隊の隊員のそばに行っては中の様子を聞こうとした。しかしその夜はずっと、誰からも息子の情報を知ることはできなかった。
 そうするうちにレストランの周囲で突入作戦の準備が始まった。作戦が始まったら息子は無事でいられるのかを父親は何度も尋ねた。しかし朝7時45分、突然シャハリアルの携帯電話に、知らない電話番号から電話があった。その電話を受けたシャハリアルは泣き出してしまった。そして地面に座り、両手を差し上げて神に向かって祈りを捧げた。
 シャハリアル・カーンはプロトム・アロ紙に次のように語った。「私の息子は生きています。あの子が電話をしてきたんです。元気でいます」。そう言ってシャハリアル・カーンは再び泣き始めた。他の家族たちも泣きながら言った。「タハミドは生きている」。
 シャハリアル・カーンによると、タフミードは金曜日の夜8時30分ごろ、そのレストランに食べるものを買いに出かけた。注文を済ませ、料理が出来上がるのを待っていた。その時にテロリストが攻撃をかけてきたのである。シャハリアル・カーンは言った。「息子と最後に話ができたのは夜10時ごろでした。そのときは無事だと言いました。しかし、その後はコンタクトが出来なくなっていたんです。ですから、朝電話を受けて、確かに息子が生きていると分かりました」。
 もちろん、シャハリアル・カーンの不安がそれで解消されたわけではなかった。息子の電話を受けてから数分ののち、軍による掃討作戦が始まったのだ。あたり一帯を揺るがすほどの銃声や爆発音が何度も聞こえた。シャハリアル・カーンと血縁の人たちはまた泣き崩れた。「どうしたことだ?みんな無事でいられるんだろうか?」
 朝8時30分、作戦終了を軍隊が発表した。そして作戦を実行した軍や特殊部隊の兵士たちが引き揚げてきた。シャハリアル・カーンは兵士たちをつかまえてはタハミルのことを知らないか尋ねて回った。携帯電話に保存してある息子の写真を見せた。すると特殊部隊のひとりの兵士が言った。「この写真はさっき見た。それでこの男は生き延びたんだ」。作戦に参加した兵士のひとりは、名前を明らかにしない条件でこう話してくれた。「作戦実行のためにレストランに入ったとき、武装グループは一般の人たちにも武器を持たせていた。我々は(見分けがつかずに)その人たちも撃つところだった。そのときに(写真を見せられていた)タハミドが分かったのさ。だから撃つのをやめた。タハミドは危ういところを助かったんだ」。それを聞いて再びシャハリアル・カーンは泣き出した。一晩中息もつけないほど緊張して待ち続けたあとで、息子の無事な姿をみるほどの幸せは、他にあるだろうか?

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(翻訳者:小俣美香子)
(記事ID:565)