危険な仕事から解放されない子どもたち
2016年06月12日付 Prothom Alo紙


14歳のヤシル・アラファトの左手の指のうち、1本の先は切り落とすしかなかった。2年前首都ダッカでジャットラバリのある工場で旋盤を使っていたとき事故は起きた。工場主は初期治療の費用は出してくれたが、事故が起きたのはヤシルのせいだと主張して損害賠償は拒んだ。11歳のラキブ・シクダルの足は、下の方から広い範囲にわたって布がまかれている。鉄くずを拾いに行ったとき、何かを踏みつけた拍子に刺さってしまったのだという。ラキブは男2人女1人の3人兄弟だ。父親は車の運転手で、ラキブは拾った鉄くずを売って日に10タカから20タカ(14~28円)稼ぐ。
ダカ市内のバッダ地区にあるエルシャドノゴル・スラムで最近ラキブの話を聞くことができた。ラキブに会ったのはワールドヴィジョン・バングラデシュのサポートで運用されている、働く子どもたちのための学校だった。NGOオポラジョエ・バングラデシュが開いているこの学校では、リナ、アキ、ナイム、シャミラなど54人のさまざまな年齢の子供たちがラキブと同様に勉強の機会を得ている。
今年1月にバングラデシュ統計局(BBS)がまとめた「2013年版児童労働実態調査」によれば、バングラデシュ国内で345万人の子どもが働いており、うち170万人ほどが「児童労働」の範疇に含まれる。さらにその中で128万人が危険を伴う労働を行なっているという。
このような状況の中、我が国は今日の「世界児童労働防止デー」を迎えている。今年のスローガンは「生産から消費まで、児童労働を防止しよう」である。すなわち生産から消費までのいかなる過程にも子どもたちが労働者として関わらないようにしようということだ。しかしヤシルやラキブのように、児童労働から逃れられない子どもたちもいる。2010年に制定された「児童労働撲滅のための政策」では、2016年までに危険を伴う児童労働一掃がうたわれている。そして政府は現在、この分野で新しい目標を定めようとしている。ムジブル・ホク労働就業大臣は昨日行われたプロトム・アロ紙との会見で、「2021年までに国内から危険を伴う児童労働は一掃され、さらに2015年までに一切の児童労働が撲滅されることになるだろう」と見通しを語った。
2006年の国の労働法では、子どもたちが労働に従事することが許される年齢は最小で14歳、危険を伴う業務の場合は18歳となっている。12歳から14歳の子どもが軽作業を行なった場合は危険を伴わない仕事と見做される。
12人の子どもたちの話:昨日プロトム・アロ紙のオフィスを、左手の指を失ったヤシル・アラファトなど12人の子どもたちが訪れた。自分たちの話を聞いてもらいたいというのだ。子どもたちは「人間のための基金」からの金銭的・技術的助成で、社会経済強化計画、ノボロク、共同体参加と発展、オポラジョエ・バングラデシュ、家庭福祉と社会発展のためのボランティア協会などのNGOが主催するプログラムを通じて技能教育、一般科目の学習、危険度の少ない仕事への就業などの機会を得ている。
12歳の女の子、シュボルナ・アクタルは両親を説得して学校に行けるようになったと話した。15歳のファルク・ホセンは携帯電話修理の技術を取得する研修を受けた。研修の終わりには必要な材料ももらえ、今はもうひとりと一緒に携帯電話修理の店を開いている。タマンナはかつてプラスチック工場で働いていた。朝8時から夜11時半まで、刃物を使ってプラスチックの型を成形する仕事だったが、その後服の仕立てを習い、今は座って仕事ができる。
しかしヤシルと同じく、14歳のソニアは今も仕事をやめることができないでいる。ダカのジュライン地区にある工場で、朝8時から夜9時まで毎日千個のボタンを作ってソニアが手にするのはたった7タカ(9円)だ。ヤシルも月ごとに受け取るお金は千タカ(1400円)に過ぎない。自分たちのように仕事をしなくてはならない子どもたちがいなくなるように、というのがソニアたちの心からの願いだ。両親たちが自分たちのことをもっと考えてくれるといいなとも思っている。
ボランティア協会のフィールド・オーガナイザー、ボクル・ラニ・デーさんは、親たちの意識が高まれさえすれば、子どもたちを危険な目にあわせることなく家計を維持しくことは可能だという。現在、そうした意識の向上とならび、危険な仕事に従事する子どもがこれ以上増えないようにすることに主眼を置いているとデーさんは語った。

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(翻訳者:シャンティ)
(記事ID:584)