イードの日を異国の病院で過ごす人たち
2017年09月04日付 Prothom Alo紙


(写真:チョットグラム医科大学病院に入院中のロヒンギャ男性。8月28日撮影)イード(イードゥル・アズハーまたはコルバニ・イード、犠牲祭)の日は彼らにとって楽しい日となるはずだった。家族や親しい人たちともに、イードの幸せな日を過ごすはずだった。しかし今年のイードは異国の病院で過ごすことになった。ミャンマーから国境を越えて命からがら逃げてきたロヒンギャの男女や子どもたちは今、チョットグラム(チッタゴン)の医科大学付属病院(チョメック病院)などの医療機関で治療を受けている。
チョメック病院では、今日日曜日(9月3日)までに39人のロヒンギャを受け入れている。そのうち少なくとも31人は銃弾を受けている。6人は火傷を負っている。同病院での治療中に1人の少年を含む2人が死亡している。ムサさん(22歳)が先月8月26日に、ショアイボくん(12歳)が先月8月30日に亡くなった。ふたりはミャンマーのモンドゥ地域に住んでいた。ムサさんは銃弾を受け、ショアイボくんは逃げる時に車にひかれてけがを負っていた。チョメック病院には先月8月26日からロヒンギャたちが到着し始めている。
何人かは頭に被弾して神経外科で治療を受けている。その1人ジヤブルさんは、家の近くで撃たれたと話した。軍の発砲により、多くの人が命を落とした。ジヤブルさんと何人かはトムブルで国境線を越えてバングラデシュに入った。
先月8月27日に入院したジヤブルさんだが、今は以前よりも回復している。ジヤブルさんンと同じ日にイリヤスさん、トハさん、モバルクさんも同じ日に入院した。3人とも頭に被弾した。皆モンドゥ地域で暮らしていたが、国境を越えて、まずクトゥパロンにあるロヒンギャの難民キャンプに避難した。そこからチョメック病院に搬送された。

トハさん(16歳)の父親のモハンマド・ホセンさんは、「息子は家の中にいたときに被弾した。その後で国境を越えてコックスバザールにたどり着いた」と話している。ホセンさんはさらに言った。「イードにはいつも皆でそろって犠牲を捧げてきた。しかし今年はそうはできなかった。まず生き延びることを考えなくては」
こうした治療中のロヒンギャたちの支援に、さまざまな団体や個人が医薬品や食料などをもってやって来ているそうだ。
ジャヒドさん(20歳)とサデクさん(20歳)はチョメック病院の火傷・形成外科で治療中だ。ふたりとも身体の15%に火傷を負っている。
「家に放火されて火傷した」と語るジャヒドさんの両手、左脚、首が焼けただれている。
サデクさんは、右腕、左脚、そして顔を火傷した。母親のカトゥンさんは「息子は家の中で火傷を負った。他の家族は逃げ出して助かったが、サデクは炎に巻き込まれた」と語った。
撃たれてけがをしたイリヤスさんの父親、モハンマド・ジャヒドさんはこう述べた。「軍による無差別の銃撃でイリヤスは頭を撃たれた。それから大変な思いをして国境を越え、バングラデシュにやってきたが、他の家族はミャンマーに残ったままだ。今年は病院でイードを迎える羽目になってしまった」
カレダ・アクタル(19歳)さんという女性もまた先月(8月)18日に国境を越えて、現在はチョメック病院で治療を受けている。銃で撃たれけがをしたからだ。
同病院のアラウッディン・タルクダル副監察官補は「これまでに39人の患者を受け入れた。そのうちふたりは亡くなっている。入院中の患者のうち、銃撃で負傷した人は少なくとも30人にのぼる」と話している。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら

 同じジャンルの記事を見る


(翻訳者:吉川みのり)
(記事ID:689)