その人たちのディワリ祭は行われなかった
2017年10月20日付 Prothom Alo紙


ロヒンギャの人たちに笑顔はない。だが、国を離れてやって来たロヒンギャのヒンドゥー教徒たちの心はきのう10月19日の木曜日にはさらに重かった。きのうはカリプジャ(カリ女神の祭祀)の日であった。バングラデシュのヒンドゥー教徒の中には、このカリプジャのことをシャマプジャという人もいる(注:シャマはカリ女神の別名)。ロヒンギャヒンドゥーの多くの人々は、プジャを行えないことが精神的に辛いのだと語った。
コックスバザールからテクナフに向かう道すがら、ウキア郡の中心のまちを越えたあたりから次々とロヒンギャキャンプが目にとまる。クトゥパロンに着く手前の右手側の少しばかり空き地になっているところに、ロヒンギャヒンドゥーキャンプの看板がある。その看板には「難民」という言葉が使われている。大きな通りからはそのキャンプは見えない。きのうの午後そのキャンプに入ろうとしたところ、そこの治安に当たっている人たちが名前や所属を尋ねてきた。分厚いノートに名前など自分の詳細について記入したあとにキャンプに入る許可が得られた。この8日間、他の難民キャンプに行った際にはこういったことはせずに入ることができた。
治安担当のあるボランティアによると、このキャンプには90の家族が暮らしているそうだ。全部で570人がここにいる。この人たちがここに来ておよそ2か月になる。ロヒンギャムスリムの人々が自分たちに対する迫害について語るように、ロヒンギャヒンドゥーたちも同じことを語った。
シブリン・シルさんはミャンマーのラカイン州モンドゥ地区のチコンチョリという地域に住んでいた。シブリンさんによると、そこにはお祈りをするための寺があったそうだ。そしてその寺院では盛大にカリプジャが行われたものだった。ミャンマーの軍隊が村に火をつけ焼いてしまったが、その寺は焼けずにすんだと聞いたということだ。
バングラデシュにいるベンガルヒンドゥーの女性のようにロヒンギャヒンドゥーの女性たちも彼女たちと同じような服装を身にまとい、腕にはシャカという法螺貝で作られた白い腕輪をはめ、髪の分け目を赤く染めている。違っているのは、彼女たちが使う言葉だけである。違うといっても、ロヒンギャの話す言葉はコックスバザールの方言とほぼ一緒でその違いはごく少ない。ビシュ・バラさんを含む4人の女性が話しをしていた。ビシュさんは、「幸せを祈ってこのプジャは行われています。でも今回は行われませんでした。これからもできるかどうか分かりません。10人の子供と夫とともに合わせて12人でここで避難生活を送っています」と話した。
他の女性たちは、「母なるカリ女神のプジャと同様、夕暮れ時に祖先たちの魂の平安を願って灯明を灯すこともまた、大事なことなのです。それこそが実は祭です。そしてそれこそがディワリ(灯明祭)なのです(注;北インドを中心に行われるディワリ祭りにベンガルで相当するのがカリプジャである)。しかし、ロヒンギャヒンドゥーには灯明も、灯明を灯す場所もないのです。何よりその気になれないのです」と語った。
このキャンプにはこの6日間、救援物資がひとつも来ていないと、ほぼすべての人が口を揃えた。ここではUnited SikhsというNGOが1日に2回料理を作り、給食を行っている。きのうの朝にはダール豆と野菜が出た。私たちが行ったときには、夕食の準備が進められていた。夕食の献立もダールと野菜だという。ロヒンギャたちはみな、ここで支給される料理よりも、並んで苦労してでももらう配給のほうがよい、と話した。

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(翻訳者:牧野未来)
(記事ID:699)