広島と長崎の悲劇、その一部始終とは
2018年09月21日付 Prothom Alo紙


第二次世界大戦も終盤に差し掛かった頃、日本の広島と長崎の街に対するアメリカ合衆国の原子爆弾攻撃は、2つの街で老若男女問わず瞬時にして15万人を死に至らせた。この大規模な殺戮行為と原子反応の長期間にわたる影響についての散発的に記事は書かれているものの、少なくともベンガル語ではこの問題を総合的に取り上げたな本はこれまでなかった。こうした背景で、日本に住む筆者のジャーナリスト兼教育者であるモンジュルル・ホクの書いた「広島と長崎の話」という本は、まさに有意義な本となった。
真の研究者のように、作者は広島と長崎の悲劇の一部始終を取り上げた。最も重要なのは、作者のモンジュルル・ホクはこの本のどの部分でも、偏った見方をしていないということだ。本のよく書かれた前書きの中で、1930年代の始まりからその後に続く15年間、アジア中での日本の役割は非難されるべきものだったと記されているのを読めば、問題の発端から取り組もうという作者の姿勢は明瞭に理解できる。日本のそのいわゆる「非難されるべき」役割の話に言及しようとして、作者は私たちに、日本が18世紀後半に近代化の道を歩み始めたことをまず示す。この近代化が進む中で、短期間で成功が収められたことは当時の日本のリーダー達に心理的な変化をもたらした。西洋と同じレベルに達したいという思いから指導者たちの胸の中に生じた、他国を占領し、植民地支配を行おうという野望が、わずかの間に彼らの目をアジア大陸侵略に向けさせることになった。混乱状態にあった中国が日本の最初の標的となったのだが、このことが日本を壊滅的な結末へと進めることになった。第二次世界大戦では、この目的こそが日本をファシストであるドイツの同盟国に仕立て上げたのだった。
モンジュルル・ホクはこの歴史を紹介した直後に、日本のこの植民地的欲求とその実現を目的としたアジアでの力ずくの侵攻や行動と、広島や長崎の悲劇を合わせて考えることには何の意味もないと指摘する。それは論理的でもない。西洋の多くの作家やジャーナリスト、さらには多くの研究者でさえも、この非論理的な考えにとらわれ続けている。モンジュルルの分析は明快だ。広島と長崎の原子爆弾による破壊は人間の自己破壊的な傾向を、人類にはっきりと示しているというのだ。破壊という遊戯で人間がいかに巧みであるかを歴史が目撃したのはこれが初めてのことだった。理屈とその結果としては、この原子爆弾攻撃が、戦いで疲弊し無力化していた日本を、時を経ずして無条件降伏させることになった、と作者は言う。こうしてアジアの新しい時代が始まった。しかしなぜ広島と長崎に原子爆弾を落とす必要があったのか?作者は自らのこの問いかけにこう答えている―原爆が投下された二つの町の市民たちは、日本による戦争の計画には全く関わっていなかった。それどころか筆舌に尽くしがたい辛さや苦しみの中で日を過ごしていたのである。それにもかかわらず、彼らはとんでもない対価を払わされることになった。
作者は詳細な分析を通じて、この爆破攻撃の背景にあったアメリカの外交戦略の真の姿を浮かび上がらせている。さらにそればかりではなく、広島と長崎の悲劇を生き延びた人々に現地で話を聞き、その詳細をこの本に示している。二つの町の記憶を守るために、そこの市民たちが今も続けている努力についても丁寧に記している。
18の章に分けられたこの本を読めば、広島と長崎の悲劇が目の前に生き生きと浮かび上がると同時に、二つの町に対する原子爆弾攻撃の結果がこのようなものであるならば、将来世界のどこかでその何倍も強力な核爆弾攻撃が行われた場合にはその結果がどれほど恐ろしいものになるか、という思いにも読者を誘う。
モンジュルル・ホクのこの本が、多くの人に読まれることを望みたい。

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(翻訳者:大角麻亜紗)
(記事ID:772)