4日間も海でドラム缶につかまって過ごしたのです
2019年06月23日付 Prothom Alo紙


先週の金曜日(6月21日)の午後、チュニジアから17人のバングラデシュ人がカタール航空の便でダカのシャージャヤラル国際空港に到着した。そのうち4人の実家はブランモンバリヤのアカウラ郡にある。
 その4人はアカウラ郡チョトゥラショリフ村のシャハジュル・コンドカルとイドリス・ジョマダル、そしてヒラプルのボロクリ村のネヤモト・シクダルと同郡ノアパラ村のアブ・ボッコル・シッディクである。
 昨日土曜日午後4時半頃チョトゥラショリフ村の実家でシャハジュルと話をした。その話によれば、アカウラ市のウジャニルシャル村の斡旋業者ショポン・ミヤルの仲介で去年の6月8日にリビアに行った。斡旋業者を介してヨーロッパに行けるとそそのかされてリビアへ行ったのだ。リビアのベンガジ空港に着いた後そこのバングラデシュ人斡旋業者で普段セリムと名乗っているロフィクル・イスラムがパスポートを取り上げ、あるキャンプへ連れて行った。ついて3,4日後にリビアに到着したこと、そして元気であることをバングラデシュに電話して伝えるように斡旋業者は言った。でなければもっと辛い目にあって、食事ももらえないと脅されたので電話した。実家の人たちは国内の斡旋業者に50万タカ支払った。次にそこから「ノアカリの兄さん」という名で知られている別の斡旋業者を介してリビアのトリポリを目指し出発するも、途中で警察に足止めされる。そこから別の斡旋業者を介しバングラデシュから送金された25万タカでシャハジュルは解放された。
 シャハジュルは話を続けた。「そのあと『ノアカリの兄さん』の紹介でレストランの仕事についた。そこで一か月以上働いた。毎日12時間も働いた。しかし月の終わりに1200ディナールの給与が出るはずだったのが、たった300ディナールしかもらえなかった。仕事中にも頻繁に暴力を受けた。それでロフィクル・イスラム(セリム)を頼った。すると船でヨーロッパに送ってやると言って連れて行かれ、『ゲーム部屋』と呼ばれる場所に5,6カ月にわたって閉じ込められた。15日か20日ぐらい前にリビアからイタリアを目指し舟に乗った。定員30から35人の高速船に75人が乗った。出発はしたものの途中で燃料がなくなり、船も浸水し始めたので何とか命だけはとチュニジアの海に飛び込んだ。4日間何も食べず、ドラム缶の中で過ごした。いつチュニジアの船に救助されたのか、何も覚えていない」
 同じ村の住民であるイドリス・ジョマダルは、アカウラ郡トゥッラ村の住民でトントルバザールの自営業者、ホセン・ミヤという「斡旋業者」を通じて、去年5月22日に53万タカを払ってリビアへ行った。イドリスはブランモンバリヤの公立カレッジの2年生である。イドリスは言う、「リビアのベンガジ空港でロフィクル・イスラム(セリム)という斡旋業者を頼った。リビアのジャミアール・アリファ大学で6、7か月清掃員として働いた。セリムから船とトロール船でヨーロッパへ行けると誘われ、トリポリからブルカを着せられてジョアラに連れていかれ、「ゲーム部屋」に入れられた。セリムには報酬としてバングラデシュから30万タカ払わなければならなかった。「ゲーム部屋」には5~6か月閉じ込められていて、食事は1日に1度だった。最近になってリビアのある場所から小さい高速船に乗ってイタリア目指して送られた。チュニジアとイタリア間の公海で高速船の燃料が尽きた。海には15から20フィートの高波が立っていた。みなが泣いていた。そのうち高速船から15人ほどが海に飛び込んだ。たまたま海に浮かんでいたドラム缶に摑まっていた。4,5日後、チュニジアの船がやってきて私たちを救助してくれたが、一時は生きる望みも失っていた」

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(翻訳者:エムディファヒムルアラム)
(記事ID:832)