論説:農民運動の挑戦と信頼感の欠如
2020年12月02日付 Prothom Alo紙


インドの首都デリーは実質的な封鎖状態にある。ハリヤナおよびウッタルプラデーシュとの州境周辺の地域などに何十万人の農民が集まっている。9月コロナ蔓延の理由で期間短縮となった国会を通過し、物議を醸した農業と農産物に関する3つの法案の撤回をもとめて各州の農民たちが「進めデリーへ」運動を展開しているのだ。(抗議活動の名称は、インド独立運動の指導者のひとりだったスバーシュ・チャンドラ・ボースのスローガンを踏まえたもの)農民は、新しい法によって自由が奪われるだけではなく、大企業に隷属することになるのでは、との不安を感じている。かつてのインディゴ農家たちと同じように、奴隷にならなければならないのではないかとの危惧である。

「進めデリーへ」運動に主に加わっているのは、パンジャーブ、ハリヤナ、ウッタルプラデーシュ、ラージャスターン、マディヤプラデーシュ、マハラ―シュトラ、そしてケーララ各州の農民たちだ。農民たちは用意を整えてやってきた。トラックやトラクター、トレーラーを臨時の宿泊施設とし、北インドの厳しい寒さへの備えとして十分に暖かい衣服以外にもトラック、トラクターに2カ月分の食料や飲み水、テント、薬、寝具が備蓄されている。トラックやトラクターには携帯電話を充電するためのマルチタップが取り付けられている。デモの指導者たちは、「要求が認められない限り座り込みデモは続く」と宣言した。

1年前の冬にも同様な座り込みデモがデリーのシャヒンバーグで始まった。厳しい寒さを無視して、高齢の女性たちが国道を封鎖したのである。要求は国籍改正法(CAA)と国民登録法(NRC)制定の決議取り下げだった。3か月以上にわたった平和的なその抗議運動を排除するために政府はデモ参加者と1度も対話しようとはしなかった。コロナの脅威が始まった後に封鎖は解かれた。今回はコロナの感染を無視して農民たちはデリーへ向かった。前回のデモとの相違点は、今度はすぐにアミット・シャー内務相が対話のメッセージを送ったということだけだ。しかしデモのリーダーたちは、条件付きの提案は受け入れることはできないと、その申し出を拒否した。政府はデモの現場にやってきて話し合いをしなければならないというのが農民側の主張だ。

内務大臣の条件とは、農民たちが州境を解放して州境近くのブラリに移動することだ。しかし農民たちは、指定された場所に行けばそこに封じ込められてしまうのではと懸念した。このような不安や疑念の理由は、7つのスタジアムを臨時の収容所に転用するとの提案があったからである。しかしデリー首都圏のアールビンド・ケジルワール首相は、中央政府にスタジアムを明け渡す事に同意しなかった。

提案が拒否された第2の理由は、ナレンドラ・モーディ首相の「マン・キー・バート(心の内からの話:モーディ首相がホストを務めるラジオ番組)」にある。新しい農業法がどれだけ農民たちに利益をもたらすか、この改革がいかにして長年の問題を解決し、中間卸売業者らの魔の手から農民たちを救うか、さらにいかにして市場の拡大をもたらし、農民たちを制約から解放するかを首相は日曜日に説明した。しかし農民たちは首相のこの談話から、政府がいかに頑なであるかが明確になったと感じた。

もうひとつ、明らかなことがある。信頼感の欠如である。政府が今日まで行ってきた重要な決定において、如何なる場合も誰かと話し合おうとする姿勢を見せなかった。すべての政党が参加する議論の場を呼びかけなかった。合意形成の努力もしなかった。紙幣の廃止、物品・サービス包括税(GST)の導入、国籍法改正、国民登録法の制定、あるいはコロナ対策のための3週間にわたる全国でのロックダウン―全ての決定を政府は一方的に行った。何の話し合いもなかった。今回の農業関連法も同様である。これほど多くの組織があるのにも、誰とも一度も話し合わなかった。何よりも大きな問題は、政府が決して自らの誤りを認めなかったことだ。この厳しい不況のなか、財政赤字を減らし歳入を増やすことが丸いものを四角くするほどに難しい状況で、猛反対があったにも関わらず2千億ルピーをかけて新しく国会議事堂を建設し、ラージパト(大統領官邸とインド門を結ぶ大通り)の沿道の美化計画を取りやめるいかなる兆候も政府は見せていない。議会での議席数の優位にものを言わせ、反対勢力を無視する態度は政府に対する信頼感の欠如を徐々に深刻なものにしている。民主主義にとってこれは決して良い兆候ではない。

農業関連法への反対運動は9月から続いている。国の北部で激しく、南部では比較的少ない。パンジャーブ州では鉄道と道路も封鎖されている。野党勢力が優位な州では、中央政府の手になるこの法律の施行を阻止しようとの動きもある。しかし中央政府は抗議運動を行っている人たちとの話し合いの場は設けていない。その結果「進めデリーへ」運動はやむを得ず取られた手段というわけだ。運動を挫こうと政府側はできる限りのことを試みた。ハリヤナとデリーでは予防的措置も取られた。しかし全ての障害を乗り越えて10万人以上の農民が今日デリーの門前まで迫っている。政府は柔軟な対応をしている。運動の今後の展開は政府の誠意と信頼感の欠如にかかっている。

1950年代初頭インドの総食料生産量は5000万トンだった。70年後の今、生産量は約6倍に増加している。しかしそれでも農業分野への政府の投資額は15%以下だ。改革の不足と緑の革命の成果が消失したインドの穀物在庫は各州に多大な失望感を与えた。そうした不満解消のために中央政府と州政府は毎年、米、小麦、サトウキビ、綿などの作物の買い取りの保証となる最低価格を定めた。この習慣が徐々に1つの政治的な義務へと変化していった。しかし新しい法では最低保証価格に関しての言及はない。北インドにおいて農産物の売買は政府が管理する市場か「マンディ」と呼ばれる卸売市場で行われる。新しい法律では、農作物をこのシステムから解除するばかりでなく、作物や穀物の貯蔵量の上限も撤廃された。契約による農業が合法とされた。生活必需産品のリストから米、豆、その他穀物、じゃがいも、玉ネギ、油糧種子などが外された。この結果市場が自由になり、大手の経営者が農業分野進出に意欲を示し、投資も増えるだろう、というのが政府の言い分だ。中間卸売業者やブローカーが市場を牛耳ることはなくなり、農民たちが有利になると政府は言う。

しかし農民たちはこの理屈を認めていない。法によって最低保証価格が定められていなければ、大企業が独自に決めた価格で作物を売却するように強制するだろうと農民たちは考えている。契約による農業は、農民を自らの土地で働く労働者に変えてしまうだろう。マンディの制度がなくなれば、作物を出荷するために遠くまで出向くことが必要になるだろう。得をするのは農民ではなく、民間や多国籍企業だ。

シャヒンバーグの時のような厳然とした立場を貫くことは政府にとっては難しい。シャヒンバーグの運動を政府は多数派の分断に利用したが、今回の農民運動はその機会を政府に与えることはないだろう。政府には難しい挑戦である。政府と農民側の間の信頼感の欠如がどのように解消されるのか、それが今後の注目点となる。

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(翻訳者:白川和)
(記事ID:936)