軍事政権はスーチーの刑を4年から2年に減刑
2022年01月15日付 Prothom Alo紙


プロトムアロ・デスク
公開:2021年12月7日
約四年前、ミャンマーのラカイン州では、同国の軍隊がロヒンギャ・ムスリム住民らに対し放火など始めた。 その時、命を守るため約75万人以上のロヒンギャがバングラデシュに逃げてきた。兵士とその仲間らの非道な行為によって、世界中の良心を揺らいでも、スーチーは動じなかった。今回は、ノーベル平和賞を受賞した「民主主義を愛する」指導者である彼女は、反ロヒンギャの残虐行為を暗黙に支持を得た軍事政権から懲役4年の刑受けた。
一方、判決を言い渡された後ミャンマーの国営テレビは、陸軍幕僚長がスーチーに部分的に恩赦を与えたと報じた。彼は、彼女の刑を2年に短縮した。
BBC、AFP、ロイター報道。
月曜日同国のある裁判所において、ミャンマーの追放された選挙で選ばれし政府評議員であるアン・サン・スーチーは2つの事件で上記の懲役を科せられた。彼女は、コロナ感染規制法違反とクーデターにより樹立した軍事政権に対する扇動を奨励したという二つの事件で起訴された。軍事政権は、彼女に対し国家機密法違反を含む9件の訴訟を起こしている。全ての件で、有罪になれば、彼女は100年以上の懲役に処されるだろう。
軍は、今年2月1日に無血のクーデターでスーチー政権を追放した。その後、軍事政権は前回の選挙で不正を行われたして彼女を起訴した。彼女と国民民主連盟(NLD)の他のトップリーダーらが逮捕された。軍に拘束されてから4か月後の6月に彼女に対する公判が始まった。
スーチーに対するこれらの訴訟は、国内外の人権活動家らに批判された。また、彼女も、これらの起訴内容をすべて否認している。2月に逮捕されて以来、彼女の拘留場所は不明である。懲役に処せられた今、今後彼女をいつ、あるいは実際に刑務所に行かされるかは明確ではない。
スーチー氏に対するこの判決について、軍事政権のスポークスマン、ジョー・ミン・トゥン氏は、報道機関AFPと話した。彼は、 反軍事政権の人達を扇動し、コロナ感染規則違反したことでスーチー氏は有罪判決を受けたと述べた。彼女は2年ずつ計4年の実刑判決を受けた。同様な容疑で、彼女の同志として知られる追放された大統領ウィン・ミントも懲役4年の刑を宣告された。ミン・トゥンは、2人ともすぐに監獄されることはないという。
ミン・トゥンは、彼らを現在滞在している首都ネピドーにある場所に残し他の事件の審理を行われると述べた。トゥン氏は、スーチーとウィン・ミントがどこにいるのかについて言及しなかった。トランシーバーの違法所持事件で12月 14日に公判開が始される。
スーチーに対するすでに判決を言い渡された2つの事件の公判は、ネピドーにある特別軍事裁判所で行われた。そこには、ジャーナリストの入室は認められていない。そして、スーチーの弁護士団でさえ報道機関と話せなかった。判決を言い渡す時軍事政権は、国の法と秩序を維持するためいくつかの措置を講じた。その1つが、首都のインターネットサービスを切断することだった。これを通じて彼らは、国内のソーシャルメディアを支配した。
国際社会の対応
西側諸国や国連を含むいくつかの国際機関は、スーチーの投獄を非難した。国連人権理事会のトップ ミシェル・バーシェレットは、この判決は「恥ずべき裁判」と言って非難した。
欧州連合(EU)のあるトップ外交官は、この判決を「政治的な動機によるものだ」と表現した。彼は、同時にミャンマーのすべての政治犯の即時釈放を求めた。
判決に対する反応として同様な要求して英国の外務大臣リズ・トラスは、選挙で選ばれた政治家の弾圧はミャンマーを将来的に不安定の危機にさらされる可能性があると述べた。
アムネスティ・インターナショナは、この判決を非難した。同機関の地域局長ミン・ユー・ハーは、でっち上げ事件によってアン・サン・スー・チーを厳罰に処せられたと述べた。この判決は、国内の反体制派に対するミャンマー軍の取り締まりの最新の事例である。
AFPに対して国際危機グループ ミャンマー事務所の上級顧問リチャード・ホルシは、軍の力を示すためにこの刑を言い渡されたと語った。
彼は、スーチーが刑務所に送られることはないだろうと考えている。ホルシは、彼女が刑務所に送られた場合それは驚きだろうと述べた。おそらく、彼女は今回の刑と後に言い渡される刑の全てを自宅、あるいはゲストハウスで服するだろう。
スーチーと同時に逮捕されたNLDの他の指導者らの公判が続いている。先月初め、ある元大臣は懲役75年に処せられた。そして、スーチーの側近の一人がは懲役20年に処せられた。

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(翻訳者:佐藤花和)
(記事ID:1017)