モタッハリー師のご子息が本紙に宛てた手紙
2005年05月31日付 Sharq 紙

5月31日シャルグ紙1面

 殉教者モルタザー・モタッハリー師の記念特集号を受けて〔注:シャルグ紙は本年5月21日、モタッハリー師の特集を組んだことを指している。なお、モタッハリー師はシャリーアティーと並んでイスラーム革命の重要なイデオローグで、人権、民主主義、女性の権利など「西洋」の近代的概念についてイスラームの観点から論じ、その後のイラン知識人に大きな影響を与えた。なお、同師は革命直後に暗殺されている〕、同師のご子息であるアリー・モタッハリー氏が本紙の発行責任者に宛てて一通の手紙を寄せた。手紙の全文は以下の通りである。

 拝啓

 アーヤトッラー・モルタザー・モタッハリーの殉教記念日に際しまして、このようにシャルグ紙による内容の濃い記念特集号が出版され、発行責任者殿及び出版に尽力されたその他の関係者の皆様に感謝いたします。当方の見るところ、後に二点ほど例を挙げますように、一部内容につき、細かな問題点が散見されますが、それ以上に、御紙の仕事は十分賞賛さるべきものです。というのも、「改革派」と呼ばれる人々が自ら興味を抱き、仔細に亘ってモタッハリー師についてものされたのは恐らく初めてのことで、通常これまで、同師の殉教記念日は改革派の方々からはまったく注目・関心を集めることなく挙行され、改革派的要素を誰よりも多く秘めた同師の偉大なる遺産に、彼らがどうして目を向けようとしないのか、驚いていたところだったからです。このはじめての試みが、かの殉教者の作品と思想への注目をこれまで以上に、またあらゆる側面において喚起することを望みます。さて、先に述べた二点の問題とは以下の通りです:

 1.編集長氏の解説には以下のようにあります:「モタッハリー師は、以前モジャーヘディーネ・ハルグの基礎を築いた人達の追悼式典で説教師を務め、彼らに敬意を表すため、ヒゲをセンナで染めるような行為〔名誉を傷つけるような言動のことか?〕をしばらく自粛し、またイマーム・ホメイニーに対しても暗に彼らを支持するよう勧めていたが、そのうちモジャーヘディーンの道はマルキシズムに繋がるということに気がついた」。*1

 この記述の最初の部分については、それを裏付ける資料が提示されておらず、またいまだご存命の証言者たちから得られる歴史的証拠と一致するものでもありません。当時ナジャフにいたイマーム・ホメイニー(彼に神の恩恵が在らんことを)以外で、モジャーヘディーネ・ハルグの異端的傾向(逸脱)をイラン国内において気がついたのは、モタッハリー師がはじめてだったことは、衆目の一致するところです。彼らのイデオロギーの変容を予見し、モジャーヘディーンと協力しようとする他の人々を押しとどめたのも、同師です。そして、まさにその故をもって、彼は大いに誹謗や噂の標的となりました。モタッハリー師が1356年(西暦1977年)に、イマーム・ホメイニーに宛てた手紙を読むと、外見上は敬虔で誠実に見える人々がホメイニー師の許へ行き、彼からこの組織(モジャーヘディーネ・ハルグ)に対する支持を取り付けようとしていたことを、モタッハリー師が懸念していたことが分かります。筆者は、モタッハリー師がホメイニー師に送っていた諸々の情報が、ホメイニー師の正しい判断と、モジャーヘディーネ・ハルグへの不支持に影響したと考えています。

 2.また同様に編集長氏の解説には以下のようにあります:「もし信条の自由と思想の自由の区別について、彼に加えられた一部の哲学上の批判を別にすれば、モタッハリー師は自由を支持した」。*2

 イスラーム革命指導者のうち誰一人として、モタッハリー師ほど思想の自由という問題を強調した者はいなかった、ということはわれわれの誰もが知っています。しかし、彼は一方で思想の自由と偽善、虚偽、欺瞞の自由を、他方で思想の自由と信条の自由を区別しました。彼によれば、多くの信条は熟慮の後に生まれるものではなく、むしろ祖先や偉人たち、または多数意見への追随から生まれるものであり、そこには理性的根拠など存在しません。鎖のように国民の手足を縛っているこの種の信条と闘い、手足からその束縛を取り外し、自らに相応しい徳を手に入れる必要があるのです。迷妄を「思想の自由」の名の下に野放しにしておくことはならず、ここにおいて預言者たちの道と、全ての人間は尊重されるべき本質的尊厳を享受しているのだから、その信条も尊重されると説く西洋の思想家—勿論、この中には植民地主義的目的を持つ者たちも存在します—の道は分かれるのであります。

 いずれにせよ、モタッハリー師についての貴紙の記念特集号は、全体としてみれば、新鮮で、実り多い、有用なもので、若い世代のより多くの人たちがこの殉教思想家を識るきっかけとなるものでした。改めて御礼申し上げます。

敬具

アリー・モタッハリー

・本紙編集長注:
*1この記述の典拠となったのは、『チェシュムアンダーゼ・イーラーン』誌で、そこではホルダード月30日の事件を過去の闘士たちの口述を通して再考するさまざまな議論が集められている。

*2 特別号中の編集長による解説の脚注で、アリー・ラーリージャーニー氏との会談の中で表明された、信仰と思想の自由に関するモタッハリー師の見解が、詳細に議論されている。〔なお、ラーリージャーニー氏は2005年の大統領選の保守派の有力候補者の1人で、モタッハリー師は彼の義父に当たる〕

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( 翻訳者:中西悠喜 )
( 記事ID:143 )