ラフバーニー一族によるジュブラーンの夕べ(アル・ナハール紙)
2005年08月23日付 Al-Nahar 紙

■ ラフバーニー一族によるジュブラーンの夕べ

2005年8月23日付アル・ナハール紙(レバノン)HP1面

【ナズィーフ・ハーティル】

 ジュブラーンの息吹を最もよく伝える作品である「預言者」を原作に、ラフバーニー一族がジュバイル(ビブロス)で野外公演を行った。その祝祭的なショーの初日を観終えて先ず言えるのは、読者一人一人のジュブラーンがいるのだな、ということである。あたかも、ジュブラーンの中に一人以上のジュブラーンがいるかのようだ。とりわけその読み手が豊穣な想像力に恵まれていたならば、いくつものジュブラーンが現れる。構造と感性において農村的な趣きに満ちているジュブラーン、その律動と心象において都会的な趣きを帯びたジュブラーン…或いは、その両方の趣きが同時に表現される。さらには、音楽と歌唱と舞踏のショーの中で、マンスール・アル=ラフバーニー(脚本)、ウサーマ・アル=ラフバーニー(作曲)、マルワーン・アル=ラフバーニー(演出)、その他のスタッフの表現の世界がぶつかり合いながら一つに融け合う。ジュブラーンの喜びのひとときが、夏の静かな海といにしえの遺跡の土地のあいだで、ラフバーニーの舞台を愛好する観衆を前に繰り広げられる。

 マンスール・アル=ラフバーニーのごとく歴史的な経験を持つ読み手が「預言者」を読むとき、その世界を表現するのは底のない井戸から水を汲み出すかのような、或いは一滴を捉えたかと思えば数多の滴が手からこぼれ落ちていくような仕事になりかねないが、広々とした野外での公演は、自然と伝説の、また空想の物語と瞑想的な神話の渾然たる世界を醸し出していた。実質上ラフバーニー組と称して差し支えないであろうスタッフ陣は、預言者たらんと想う作者(ジュブラーン)と、彼が作り出した人物であり自らの生を最後まで生き抜こうとする預言者との、対立を内包しながらも親密な繋がりについての、二つの次元で、しかし一つのヴィジョンのもとに展開される物語を創造した。

 文人ジュブラーン(ラフィーク・アリー・アフマド)とオルファレースの預言者(ガッサーン・サリーバー)、そして期待にたがわずメアリー・ハスケル(ジュリア・カッサール)と巫女ミトラ(アマーニー・アル=スワイスィー)が登場して対話を交わす。台詞は日常的で親しみやすい言葉で、観客を楽しませることに重点が置かれ、昨今の都会の風景を思わせるようなやりとりが出てくる。しかしジュブラーンのテクストから引用されるたびに、台詞は透明さを帯びてくる。勿論ここで、マンスール・アル=ラフバーニーが大衆の感覚に寄り添い、醜悪で不健全な時代のささくれ立った感情をくすぐって和ませるようなことを好むという点は指摘しておくべきであろう。ジュバイルでの「ジュブラーンと預言者」の舞台は、必要以上に冗長な演出や、ウサーマ・アル=ラフバーニーの音楽が時折ラフバーニー流のリズムから逸脱したことによってややもするとその輝きの一部分を失うところであったが、ジュブラーンのテクストの引用にはそれを救うという効用があったと言えよう。

 大空の下で我々はジュブラーン・ハリール・ジュブラーンと、その生涯および作品世界における仲間たちとともに、心地よい夕べのひとときを過ごすことができた。もう一度鑑賞したいものである。


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( 翻訳者:森晋太郎 )
( 記事ID:736 )