イランのウラン濃縮は4.8%の水準に達した:アーガーザーデ原子力庁長官 シャルグ紙
2006年05月03日付 Sharq 紙

【ISNA(イラン学生通信)】イランのレザー・アーガーザーデ原子力庁長官は、現在、イランでのウラン濃縮が4.8%の水準に達したことを伝え、5%以上のウラン濃縮作業はイランの計画にはなく、核燃料生産にはこの程度の濃縮で十分であると強調した。
 
 また、国内で新たにウラン鉱が発見されたことに触れ、「バンダルアッバースのウラン鉱は、ヤズドのサーガンドのものと比較して鉱床が地表近くに堆積しており、そのため鉱石の採掘及び運搬費用がそれほどかからない」と述べた。さらに、このウラン鉱の埋蔵量について「まだ、完全な調査は行われていないが、第一段階の調査ではこのウラン鉱には注目すべき量が埋蔵されていることが分かっている。現在この鉱床の探査・構造図製作計画も進行中である。当初の概算では、バンダルアッバースのウラン鉱から採れるイエローケーキ(ウラン精鉱)生産量は年間30トンとなっている」と語った。

 アーガーザーデ長官は、このウラン鉱の明らかな特徴のひとつが、工場の設計および操業が国内の専門家やエンジニアの手で行われることだとして、「これは我々にとって初めてのイエローケーキ生産となる」と付け加えた。また、国内の他のウラン鉱についても、「原子力庁の専門家たちが、現在国内のウラン埋蔵量を一括調査する計画を立てており、国内の様々な地点で幅広い投資が行われることが予想される。現在想定されている地域には、アーザルバーイジャーン、ホラーサーン北部、イラン中央部、バンダルアッバースが含まれる。」と述べた。

●2ヵ月後に核関連施設の入札

副大統領でもあるアーガーザーデ長官は、今年中(2007年3月20日まで)に、国内に新たに2基の原子力発電所を建設するための入札について、「この入札に関する文書は準備中だが、恐らく2ヵ月後には完成し、各国、各企業に告示され、検討してもらうことになる」と発表した。

また、イラン暦1385年(西暦2006年3月21日~2007年3月20日)のこの入札に関する政府からの前払い金として、2億ドル(約228億円)が割り当てられることを伝え、「1385年の予算の見積もりに基づき、この金額が入札の前払い金として想定され、政府の承認を経て原子力庁に割り当てられた。予算承認の但し書きによれば、もしこれらの入札が実現しなかった場合、この予算は国庫に戻されることはなく、ブーシェフルの発電所に使われることが予定されている。このことは、原子力庁の目的を遂行するために国会が柔軟な姿勢で臨んでいることを示すものだ」と述べた。

さらに、議会が承認したところによれば、今後20年で2万メガワットの原子力発電を国内で行うことになっているが、平和利用を前提とした核活動をめぐる政治論議を考えるとき、このことは実現するか、との質問に答え、「我々は、自らの努力をするだけだ。IAEAでのイランの核問題に対応するのと平行して、360メガワットの発電所の設計、施工に着手している」と述べた。
(中略)

●協議が唯一の解決方法

アーガーザーデ長官は、ISNA(イラン学生通信)とのインタビューの中で、国連安全保障理事会がイランに核活動の延期を求める最終期限付きの勧告を出す可能性があることについて、「国連安保理常任理事国は、イランの核問題は協議と協力という方法でしか結論を見ないと認識している。つまり、相互の信頼という枠内でこの流れは結論にたどり着くのだ」と語った。

また、現在イランは核の知識を有しており、これを白紙に戻すことは出来ないと強調し、「この状況から脱出する最適な方法は、双方が抱える不安を解消することだ。我々が西側の行動や思惑を信頼していないのと同様、彼らも不安を抱いているかもしれない。しかし、不安を解消するためには相互の視点を持たなければならない」と述べ、ヨーロッパ諸国がイランの核活動中止に向け全力をあげていることを指摘し、同時に「イランには不安を解消する用意がある」と説明した。

●政治的な土台作り

同長官は、IAEAに残された不安材料を解消することで核問題の解決をはかる件について「イランの核問題は政治的なものであり、この問題に関する政治的な土台が作られなければ、IAEAが核問題解決に必要な意志あるいは支援を見出さないであろうと見ている」と語った。また、「趣旨の観点からは何の不安材料も問題も残されていないにもかかわらず、イランに対する非難が継続するような課題を残して、IAEAはこの問題の解決に当たっていない」と述べた。最後に、アーガーザーデ長官は、「IAEAは、イラン問題を一回の実務会議で簡単に終結させる権限を持っている」と強調した。


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( 翻訳者:關岡 敦子 )
( 記事ID:2343 )