コラム 対米外交 ハムシャフリー紙
2006年06月11日付 Hamshahri 紙

2006年6月11日付ハムシャフリー紙

 「コンドリーザ・ライスが、《世界》に向けて、我々はイランの核問題を外交的手段で解決することを望んでいると表明したのは、私の指示によるものだ」。

 これは、6月3日にジョージ・ブッシュが行った発言だが、そこでの《世界》という概念の用いられ方に注目したい。《世界》なる概念を用いることで、アメリカ政府のプロパガンダ装置は、《テロ》や《悪》、《平和への敵》などの表現によって、ある程度喚起されてきたイメジャリーを、多くの人々の記憶から消し去ることに成功した。しかし、支配の手段として用いられているこれらの概念の筆頭に、《国際社会》、あるいは《世界》といった概念が位置していることを忘れてはならない。

 《国際社会》は、例えば《テロリズム》などよりも、ずっと本質的な概念だ。なぜなら、それはより豊かな分析的な内容を有し、より多くの普遍性を内包した包括的概念だからだ。

 《国際社会》や《世界》といった類いの概念は、第一次世界大戦の終結以来、アメリカ歴代大統領によって用いられてきた。そして我々の生きる現代、ついにアメリカはこれらの概念の利用を当然のごとく独占するにいたったのである。アメリカの外交機関は、〔他国と〕話し合いを行ったり、〔他国に対して〕自らの立場を表明する際、これらの用語を用いることで、容易に自らの利益と世界の他の国々の利益とが一致しているかのように振る舞い、ある意味で自国の意志と他の国々の意志が、本質的に異なるにもかかわらず、あたかも一致しているかのように、演出してきたのである。

 しかしながらこのような状況において、上述の〔ブッシュの〕発言は一つの転換点でもある。再度上述の発言を眺めてみると、《世界》や《国際社会》という概念が、アメリカ外交の独占・占有を意味しているというよりもむしろ、〔アメリカと他国との間の〕闘争の存在を示していることが明らかになろう。換言すれば、《国際社会》という表現は、〔アメリカの〕独占を意味する代わりに、イランや他の世界の国々とアメリカとの闘争の場を意味する表現に変容してきたということを示しているのである。

 アメリカ外交のレトリックにおける《世界》という概念の用いられ方の変化は、もしこの状態が続くならば、超大国の(疑問の余地なき権力としての)ヘゲモニーの基盤の腐食を意味するだろう。

 イマーム・ホメイニーはかつて、人権とはひとつのイデオロギー(観念による権力への手段)、あるいは言説(権力という概念の編成のあり方)にすぎず、それ以上のものではないということを、現実において証明した。こうして今や、イスラーム共和国は権力の語彙目録からの撤退を、アメリカに迫っているのである。

 アメリカが自らの《神学創造力》を失ったときこそ、おのれの命令から信用や尊厳が失なわれ、腰にぶら下げた小銃を用いるしか術がない警吏のごとき存在へととなりさがるときである。そして、テロに訴えたときが、信用の最後のときとなるのだ。

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( 翻訳者:南龍太 )
( 記事ID:2704 )