日本の自衛隊、イラク撤退を決定(アル・アハラーム紙)
2006年06月24日付 Al-Ahram 紙

■ 日本軍、イラクという船から飛び降りる

2006年06月24日付アル・アハラーム紙(エジプト)特派員報告

【ムハンマド・イブラヒーム・アル=ドゥスーキー】

 日本の小泉首相は兵員600名を擁する日本軍をイラクから撤退させるにあたり、賢明なタイミングを選択した。この決定によって小泉首相は、重要な歴史的瞬間において日本の面子を保ち、また第二次世界大戦後初の任務として、戦闘行為が行われている国に日本の兵士を派遣するという決定にこだわった結果失った、大衆的人気を取り戻すことが出来た。

 撤退は、米指揮下の多国籍軍に参加するという目標が達成されたことを受けて決定された。小泉首相はイラクに対する米・英の侵攻を真っ先に支持した首脳の一人であり、米政府に対し、日本が危機や困難に際して信頼に値し頼れる同盟国であることを証明したかったのである。そのために首相は自国の安全保障政策を根本的に変えることすら躊躇しなかった。これによって首相は、再建とイラク人の生活状況改善への貢献という人道目的でやってきたのだと書かれた大きな看板を掲げた日本軍を、イラク南部サマーワの町に配備すべく、派遣することを可能にしたのだった。

 その代償として小泉首相は、日本軍のイラク駐留という考えに対する国内の反対を耐え忍ぶことになった。なぜならイラクへの日本軍駐留は、外国によるイラク占領を強固にする手助けとなりうるからで、このことは戦争と戦力の使用を拒否するという日本国民の憲法および道徳への忠誠と相反することになるからだ。
 しかし同時に首相は、これによってブッシュ政権の評価を勝ち取り、米国とその政策、中でもテロとの戦いに関連する政策への、最も近しい同盟者に分類された。

 日本の撤退は、9月の任期終了を目前に控え、今月末に予定されている小泉首相の米国訪問を前に行われた日本政府と米政府間の協議を受けて発表されたことが窺われる。

 イラクで日本兵が一人の死者も負傷者も出さなかったことは、冒険家小泉にとってきわめてラッキーでもあった。一人でも死者が出ていれば、即時撤兵を求める強い圧力に直面したはずだ。したがって小泉首相が、イラクでの冒険は成功し、日本は一人の兵士の血を流す必要も無く、政治・治安における米国との目覚しい特別な関係を育むことが出来たと言ったとしてもおかしくない。オーストラリア軍とイギリス軍がサマーワの日本軍を守る責任を負い、最大限に守りを固め、最新の装備で武装した日本の基地が数発の迫撃砲にしか晒されなかったことは、秘密でもなんでもないことではあるが。

 配備から2年経った今、日本が撤兵を急いだ背後には、イラク新政府の組閣と、アブー・ムスアブ・アル=ザルカーウィーの殺害がある。イラクのアル=カーイダのリーダー、ザルカーウィーは今月、米軍の空爆によって殺害された。ザルカーウィー派はかつて日本人の人質を誘拐・殺害したこともある。日本政府は撤退を早めることを望んでいたが、ヌーリー・アル=マーリキー首相による組閣の遅れという障害に遭った。しかしその障害も取り除かれ、サマーワが位置するムサンナー県の治安を担う準備が出来たと新政府が宣言した以上、駐留を続ける口実は無い。

 日本が実質的に達成しえたもう一つの目標は、日本が国際問題への対応に実際に参加することなく、金や援助の小切手にサインすることばかりを考えている単なる経済大国ではもはやなくなり、国際的な役割に見当った代償を払う準備のある政治大国として、現にいつでも義務を果たす国になったという点にある。最近まで日本は、停戦が実現し、安定が戻った後でなければ世界で起きている紛争や戦闘に介入しようとしてこなかった。

 ただし日本政府はこの側面を打ち出すにあたり、日本の軍隊は平和に奉仕するのであって、侵略的な意志は無いことを強調してきたが、それは日本の軍隊が海外任務に就くことを自国や地域の安全に対する危険なシグナルであるとの疑念を抱いた近隣諸国に対するメッセージであった。地域の諸勢力がこの理論を受け入れようが拒否しようが、日本は経済力と軍事力を兼ね備えた国になっており、いかなる抗議や反対に会おうとも、後戻りはしないだろう。

 また、国内政治への思惑が、撤退の裏にあった可能性もある。野党の民主党は次期総選挙での公約の一つに、イラクからの日本軍撤退を挙げていたし、あるいは小泉首相は自身の後継者がこの問題に巻き込まれるのを避けたかったのかもしれない。
 小泉首相個人は、国内外の困難なリスクを背負い、過去50年間変わらなかった安全保障戦略や政策の基礎を変革した人物として、記憶にとどめられることだろう。

 同様に小泉首相は、軍事的にアメリカの側に立ったことによって、アラブや西洋の人々が日本に対して抱いていた清廉なイメージにつけた染みを、(撤退によって)拭うことが出来た。日本軍はイラクという船から飛び降り、待ち受けていた不確かな未来から逃れたとはいえ、経済的にも政治的にも、日本はイラクから手を引いたわけではない。


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( 翻訳者:南・西アジア地域言語論(アラブ・メディア翻訳) )
( 記事ID:2839 )