対レバノン戦争とヒズブッラー(アル・ナハール紙)
2006年07月27日付 Al-Nahar 紙

■ サハル・ブアースィーリー「対レバノン戦争のプレイヤー(3)ヒズブッラー」

2006年07月27日付アル=ナハール紙(レバノン)論説面

 ヒズブッラーはあらゆる意味でイスラエルの対レバノン戦争の中心的なプレイヤーである。ヒズブッラーこそ戦争の公式の標的であり、アメリカやイスラエルが戦争開始以前の状態に戻ることを拒否する際に意図しているのは常にヒズブッラーのことである。

 そのことはヒズブッラーがイスラエル軍兵士捕獲作戦において計算を誤ったにせよ誤らなかったにせよ、或いはハサン・ナスルッラー師の言う通り、イスラエルが2~3ヶ月後に計画していた奇襲作戦を挫折せしめたのであるにせよ、何ら変わるところはない。

 ヒズブッラーに対する戦争の意図するところは、ヒズブッラーの武力に対する戦争である。ヒズブッラーの武力とはすなわち、[2000年の南部]解放後のレバノンにおいて、シャバア農場地帯の占領がつづくかぎりは武装勢力でありつづけるというヒズブッラーのありようを意味している。またそれは、シリアを通じてのイランとの「特別な」関係の軍事的な側面への広がりをも意味するし、とりわけシリア撤退後のレバノンにおける体制への「影響力」をも意味する。

 ヒズブッラーはその武力を保持するため、それが有する二つの側面を長きにわたって大いなる賢明さをもって使い分ける政策をとってきたが、もはやその余地はなくなった。戦争が始まり、ヒズブッラーの武力そのものが目標とされ、ヒズブッラーは大変困難な選択と決定を迫られている。それは次のような問いに要約される。いつまで武器をもつのか?という問いである。

 ヒズブッラーが政治面で生存を賭けた闘いに突入しているとは言い難い。ヒズブッラーは1992年の議会選挙以降、国内における重要な地位を認められており、その地位は[2000年の南部]解放以降さらに高まり、前回の議会選挙において確固たるものとなった。ヒズブッラーはその後はじめて直接に政権参加するに到り、実質上シーア派最大の政治勢力となった。また、ヒズブッラーがターイフ合意においてシーア派の獲得した成果をその武力をもって保持しているのだとも言い難い。その成果はすでに憲法によって確定されている。つまりレバノンの政界においてヒズブッラーが獲得した地位は脅かされてはいないのである。

 武力保持の目的はレバノンとイスラエルの間で未解決の問題、すなわちシャバア農場地帯の帰属問題、地雷の敷設配置図、レバノン人収監者の処遇といった問題に決着をつけるためだと言えるかも知れない。しかしレバノン政府がこれらの問題を危機解決案のパッケージに含み込み得たとして、それはヒズブッラーの武力の役割を解消せしめるに十分であろうか?事はそれほど単純ではない。ヒズブッラーの武力には解放と防衛という二つの役割がある。解放の役割はイスラエルとの間の当面の問題が解決されればその任務を終えることになるだろう。防衛の役割については、ヒズブッラーをその一部とするレバノンの防衛政策をめぐる合意が現在求められているところである。この二つの役割をヒズブッラーは区別しているように見える。

 しかし、ヒズブッラーがその武力のレバノン国内的側面と地域的側面を区別することは、レバノンにおけるヒズブッラーの政治的利益の正当性と地域レベルでの軍事的役割の間に境界線を引くことと同様に決定的な意味をもつ。何故なら今回の戦争が始まった最初の瞬間から、レバノン国内的意味合いと地域的意味合いを切り離すことはあり得なくなっているからだ。両者の区別を拒否するのならば、それはつまり武力の保持はレバノン自体の目的のためでなく、イランおよびシリアと結びついた役割のためだということになる。ナスルッラー自身、現在起こっていることをハマースと結びつけ、イランとシリアを闘争における同盟者とみなし、今回の戦争を「共同体の戦い」と名付けたことによって、戦争に地域的な意味合いを付与した。その一方で、レバノンにおけるかつての現実を変えようと欲しているアメリカは、それを通してこの地域における多くの現実を変えようと試みている。

 この戦争において非常に危険なのは、ローマ国際会議を前にナスルッラーがテレビを通して発したメッセージにせよ、政府の停戦提案に対するヒズブッラーの立場にせよ、そのどちらを見ても、ヒズブッラーが武装勢力としての生存を賭けた闘いに突入しようとしていることに疑いはなさそうだということである。



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( 翻訳者:森晋太郎 )
( 記事ID:3115 )