サッダーム・フセイン裁判 アンファール作戦に関する第2回公判開始(サバーフ・ジャディード紙)
2006年08月23日付 al-Sabah al-Jadid紙

■ 最初の証言者:サッダーム・フセインと旧政権がクルド人の村々に対し禁止武器を使用したとの訴え

2006年08月23日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HP1面

【バグダード:諸通信社】

 フランス通信記者が裁判所から伝えたところによれば、1980年代のクルド人民間人に対するアンファール作戦事件について、サッダーム・フセイン元大統領と責任者6人を裁く法廷が昨日火曜日に再開された。

 二回目となる法廷は現地時間10時30分に開廷し、運営上の問題について10分間非公開の協議が行われた後、被告全員が出廷して再開された。

 イラク元国防相のスルターン・ハーシム・アフマド被告は、「この作戦をアンファール作戦と名付けたのは、第1軍団司令官カーミル・サージト・アズィーズである。私が彼にこの名称を選んだ理由を尋ねたとき、彼は『聖クルアーンの章にちなんだだけだ』と言った」と述べた。当時軍団の指揮官の職にあったアフマド被告は、「アンファール作戦前の情報局の調査報告書によれば、敵であるイランが第1軍団と戦闘状態にあり、イラク北部の領土を占領した」と述べた。

 続いてアフマド被告は、「これらの報告書によれば、敵の意図は基地を壊滅させ、ドゥーカーン・ダムとディラバンド・ハーン・ダムを占領し、この両ダムを破壊してバグダードを水没させ、さらにスライマーニーヤを包囲して占領した後、西部へ攻め込んでキルクークの油田を脅かすことであった」と述べた。

 一方、軍情報局の元長官サービル・アズィーズ・アル=ドゥーリー被告は、アフマド被告の陳述を肯定し、「もしドゥーカーンとディラバンド・ハーンの両ダムあるいはいずれか一方が破壊されれば、バグダードと周辺地域および途中の地域が水に沈み、最も高い建物も沈んで、水深は10メートルも上昇することになる」と述べた。

 さらにドゥーリー被告は、「これに基づいて、まずイラン人の、次にクルド人反乱勢力を掃討する治安計画が打ち立てられた」と述べた。

 ドゥーリー被告は、アンファールの戦闘はクルド人の民間人に向けたものではなかったが、彼らは治安上出入りが禁じられていたこの村にいた、との認識を述べた。

 法廷に近い筋によれば、およそ10万人の殺害をもたらしたクルド人に対するアンファール事件(1988年)での集団殺戮作戦について、複数の原告側証人が証言を行う見込みである。


 サッダーム・フセイン元イラク大統領とその父方の従兄弟アリー・ハサン・アル=マジードは、他の5人の元責任者とともに月曜日の法廷でクルド人に対する集団殺戮を犯した嫌疑を向けられた際、黙秘を通した。

 アンファール事件の最初の証人アリー・アル=シャイフ・ムスタファーは火曜日、旧政権がクルド人に対して実行したアンファール作戦の責任はサッダーム・フセイン元大統領にあると訴えた。

 この証人は昨日火曜日の法廷で、「アンファール事件に関する私の訴えは、イラクを統治し命令を出していた者に向けられている」と述べた。

 証人は1953年アルビール県シャクラーワ生まれである。彼は旧政権がクルド人に対して化学兵器を使用したと訴え、「バアス党政権は1987年4月26日、(シャクラーワにある)我々の村バリーサーンを飛行機で攻撃した。飛行機は村にクラスター爆弾とミサイルを発射した」と述べた。

 また証人は、「飛行機がミサイルを発射した後、私たちは濃い煙が巻き起こるのを見た。数分後には辺りが暗くなり、腐ったリンゴかニンニクに似た臭いがしていた」と述べた。

 これに対し、元イラク国防相スルターン・ハーシム被告は同じく火曜日、1988年に発生したアンファール作戦の際にクルド人家族の拘束を行ってはいないと否定した。

 昨日火曜日に7人の被告全員が出廷して始まった第2回法廷においてハーシム被告は、「我々はアンファール作戦を実施した際、クルド人家族を拘束してはいない。そうではなく我々はキルクークにある北部司令部へ移動するための車を彼らに提供したのだ。その際に彼らを拘束してはいない」と述べた。

 ハーシム被告はアラブの衣装(ディシュダーシャとイカール[※訳注:伝統的な長衣と頭布])を身につけて静かに話し、「我々は組織化された軍隊であるペシュメルガ軍[※訳注:クルド人の民兵組織]と戦っていたのだ」とも述べた。

 ハーシム被告は、自分がフサイン・ラシード参謀総長(当時)から命令を受け至極忠実に命令を実行し、イラクのためになることでなければ独自の判断を下すことはしなかったと説明し、「私はイランと戦うという北部での自分の責務に厳正に忠実に戦っていた」と述べた。

 アンファール作戦当時の情報総局長官であったサービル・アズィーズ・アル=ドゥーリー被告は法廷で、「アンファールの戦闘はカーディスィーヤト・サッダーム[※訳注:サッダーム・フセインによる対イラン戦争、の意。イスラーム初期の対ペルシア帝国戦、カーディスィーヤの戦いに因んだ呼び名]の戦闘の一環であった。我々はイランおよびペシュメルガ軍と戦っていた。彼らは同盟関係にあった」と述べた。ドゥーリー被告はグレーの服を着て、正確なアラビア語で穏やかに話した。

 一方、昨日イラク・クルディスタン地域政府はバグダードの中央政府に対し、旧政権のサッダーム・フセイン元大統領が行った民族浄化の犯罪の犠牲者である18万2千人を超えるクルド系イラク国民に補償金を支払うよう求めた。イラク・クルディスタン地域政府が出した声明の中には「クルディスタン地域政府は、サッダーム・フセインとその部下たちの裁判が実施されていることを支持する。クルディスタンの人々および地域政府は、この法廷によってアンファールの犯罪が認められ、被告の罪状が確定され、彼らが公正な判決を受けることを強く期待している」と述べられていた。

 なお、裁判官がアラブ人弁護士らに対し、サッダーム・フセインとその部下たちの申し立てや弁護を禁じたことが原因で、サッダーム・フセイン元大統領と裁判長との間で言い合いが起きた。



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(翻訳者:森本詩子)
(記事ID:3363)