ナスルッラー書記長からアラブ諸国首脳への問いかけ(アル・ナハール紙)
2006年09月23日付 Al-Nahar 紙

■ サハル・ブアースィーリー「アラブ諸国へのメッセージ」

2006年09月23日付アル=ナハール紙(レバノン)HP論説面

 ハサン・ナスルッラー師が「神の勝利」を祝賀する集会において行った演説の国内問題に関する部分について、抵抗運動の武装問題とその将来について、「強力で公正で清潔な」国家をめぐる理解のありようについて、挙国一致政府樹立の呼びかけについて、ナスルッラー師と見解を異にする人は多いだろう。

 それだけではなく、今回の戦争の性格とその結果と勝利の国内における意味合い、言い方を換えれば破壊の規模と比較しての勝利の規模について、全てのレバノン人の見解がナスルッラー師と一致しているわけではなかろう。

 また、ナスルッラー師が一方では3・14勢力とくにその指導者の一部に対して攻撃的な発言を行い、他方で非難合戦をやめるよう呼びかけているのは矛盾だと考える人々もいるだろう。

 国内問題はたしかに重要であるし、危機的な状況の今後の展開に及ぼす影響も重要ではあるが、イスラエルとの紛争の解決を目指し国連安保理に彼らの大義を訴え/提案を行っているアラブ諸国に対しても、ナスルッラー師はメッセージを発しているのだ。

 このメッセージの形式については見解の相違があり得よう。ナスルッラー師がアラブ諸国の指導者たちに対する立場を表現するにあたって用いた辛辣な言葉や攻撃的な口調は殆ど煽動に近いものであり、反発を招かずにはおかないものであった。

 しかしその内容においては、彼のメッセージは本質的なものであり、真っ当なものであった。

 ナスルッラー師のメッセージは、彼が発した次のような問いに要約されるものであった。「戦うつもりはない、断絶するつもりはない、石油戦略を発動することはないと毎日のように発表していて、どうやって受け入れ可能な解決策が得られるというのか?」と。

 これは交渉術のイロハに関する教訓である。権利と力を有する者が、自らの大義を懇願するようなやり方で提示するようでは、また力を誇示してその使用をちらつかせることもなく、力の源泉を無化してしまうようでは、どうして望ましい条件を獲得したり、少なくとも条件を改善したりすることができるだろうか?

 残念なことにアラブ諸国政府の立場は、和平プロセスの死が宣言された後においてすら、そのような交渉術の初歩からまるでかけ離れたものであった。アラブ諸国の首脳たちは競い合うようにして、アラブは誰とも戦うつもりはない、誰にも攻撃をしかけるつもりはないと強調し、その一方でイスラエルは彼らが言うことをまるで気に留めていないようすだ。そもそも彼らが無力であるということを確信して安心しきっているのだ。その証拠にイスラエルは、アラブ諸国首脳が紛争を国連安保理の場に移そうと試みたのに対して周知の不遜な態度で応じ、安保理に対してすら紛争への一切の介入を拒否するとの立場を示したのである。

 アラブがナスルッラーに同意するにせよ、見解を異にするにせよ、彼の問いかけは真っ当なものである。



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( 翻訳者:森晋太郎 )
( 記事ID:3578 )