レバノン「黒い日曜日」事件に関する捜査つづく:軍への発砲はシイヤーフ地区から
2008年01月30日付 Al-Nahar 紙

■ 一次報告では、軍への発砲はシイヤーフ地区から
■ 捜査:あの日曜日にレバノンに火を点けようとしたのは誰か?
■ ラブロフ[ロシア外相]・ジュンブラート[「民主主義会合」代表]会談:「直ちに大統領選出を」

2008年01月30日付アル=ナハール紙(レバノン)HP1面

 先週の日曜日にレバノンの治安を襲った嵐は、ミシェル・スレイマーン国軍司令官の言葉によれば「真剣かつ総合的な」捜査に基づく対応によって次第に収束しつつあり、現場での事態の急激な展開の中で見失われそうになっていた政治方面に国内の情勢は再び向かおうとしている。

 国内の複雑な状況に対してアラブ連盟のアムル・ムーサー事務局長があらためて持ち込もうとしているアラブ連盟提案がどうなるのかという点へ関心は再び集まっている。反対派勢力が昨日表明した立場は、日曜日に起きた事は別にしてこのままスレイマーン司令官を双方合意の共和国大統領候補として受け入れるが、組閣にあたっては「保証となる3分の1[の閣僚配分]」を反対派勢力に与える妥協案とセットにすることを求めるというものである。

■ 「黒い日曜日」

 「黒い日曜日」事件の現場の状況について本紙が得た情報によれば、この事件に関する一次報告では、マール・ミハイルの軍拠点の責任者である士官がジュバイル地方出身のシーア派であることが指摘された。

 一次報告では、当日の午後にデモが始まり若者たちがタイヤを燃やして軍拠点の前の道路を封鎖し始めたとき、この施設は安全を脅かされてはおらず、他の部隊が介入する必要はなかったと報告されている。兵士らは直ちにデモ参加者に対し、軍は燃えているタイヤを撤去して道路を再開する、と通告した。それに対する返答は石や棒による攻撃だった。軍側では1人が負傷し、デモ参加者らは別の兵士の武器を奪い取ろうとし、兵士は取り囲まれながらも抵抗した。次いでデモ参加者らは軍の車両によじ上ろうとした。そのとき兵士らが、デモ参加者らを解散させて武器を奪われないように隊員を撤退させるべく、空中に向けて発砲した。ここでシイヤーフ地区の方角から発砲が始まり、軍用車両には弾痕ができ、軍は反撃せざるを得なかった。…そして民間人に犠牲者が出た。

 また同報告書は、発砲がなされた場所として写真撮影された建物が位置するのはアイン・アル=ルンマーナ地区ではなく、デモ参加者らが出発したシイヤーフ地区であることが明らかになったと説明している。

 このことから捜査は、「あの日曜日にレバノンに火をつけようとしたのは誰なのか?」という大きな疑問に直面している。

■ ヒズブッラー

 ヒズブッラーは昨日、スレイマーン国軍司令官とナスルッラー書記長が一昨夜行った会談について声明を発表した。それによるとスレイマーン司令官は、「捜査は明確かつ公正で、事件の責任を正確に特定するものである」と述べたという。

 ナスルッラー書記長は、「圧力や政治的利用の試みに影響されることなく、真剣で迅速かつ包括的な捜査を行い、(...)この犯罪行為の責任者をたとえ誰であっても制裁することの必要性」を強調した。また、「短期間のうちに決定的な結論が下されるのを見たい」との希望を表明した。

 昨日、アメリカン大学病院でジハード・ラシード・ムンズィル(1972年生まれ)が、日曜日の事件で受けた負傷のため亡くなり、犠牲者の数は7人となった。

(後略)

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( 翻訳者:森本詩子 )
( 記事ID:13118 )