モタッハリーの遺産:ゴラームアリー・ハッダード=アーデル(2)
2008年04月28日付 Jam-e Jam 紙
ハッダード=アーデル氏
ハッダード=アーデル氏

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 マルクス主義との対決において基本的な問題とされたのは、マルクス主義の哲学的基礎の部分に対してであった。社会的見地から見た場合、〔イスラームにおける〕社会的正義と西洋リベラリズムの問題は、今日私たちの社会において基本的言説となっているような形では、当時問題とされていなかった。

 私たちが大学生で、モタッハリー先生が私たちの道を照らす灯火であった時代、さまざまな大学において基本的な議論の対象となっていたのは、宗教原理の在・不在をめぐるものであった。

 宗教を社会のアヘンだと見なすマルクス主義者や共産主義者がいた一方で、宗教を支持する者もいた。基本的に、当時、西洋のリベラリズムは宗教を否定するような存在ではなかったのだ。それゆえ、思想上の議論や神学上の論証、宗教と精神性の擁護において優先されたのは、マルクス主義との論争の最前線において宗教を防衛することであった。しかし今日、世界はすっかり変わってしまった。

 一方でマルクス主義は凋落・衰退し、他方では共産主義陣営は輝きを失い、冷え込んでしまった。もはや世界には、マルクス主義や共産主義の名の下に人々を呼び込むような国はどこにもないのである。

 他方、イランではイスラーム革命が勝利を収め、初めて宗教の名における政府が樹立された。政治的イスラーム、社会的イスラームの思想は、あらゆるイスラーム国家に広まり、こうして一種の覚醒がイスラーム世界に生まれた。西洋リベラリズムが〔イスラームの〕真の挑戦者となったのは、ここにおいてなのである。

世俗主義に対するモタッハリーの立場

 師は人生の最後に『最近の100年におけるイスラーム運動』という著作の中で、「アルマーニーヤト」〔=世俗主義〕というアラブ諸国〔※原文では西洋(gharbi)と表現されているが、アラブ('arabi)の誤りであると判断した〕で用いられている言葉を使って、世俗主義に関する議論を提示している。しかし革命の勝利から間もなくして、私たちは師を失ってしまった〔※モタッハリーは革命から約3ヶ月後に暗殺されている〕。運命はこの広大かつ極めて重要な戦場に足を踏み入れて自身の考えを展開する機会を、師に与えてはくれなかったのである。

 モタッハリーの死から30年、我々の社会が直面している新たな問題に対し、彼の著作や思想をどのように活かすことができるのか、我々はここで問う必要があるのだ。

(つづく‥‥)


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( 翻訳者:阿部文美 )
( 記事ID:13889 )