コラム:イラクが先進国となるためには
2008年07月07日付 al-Sabah al-Jadid 紙

■ タンムーズ原子炉、国民の厄災

2008年07月07日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HPコラム面

【サーミー・ハサン】

私の世代のイラク人なら、1981年6月イスラエルの空爆により一瞬で瓦礫と化したタンムーズ原子炉を記憶しているだろう。イスラエル側の言い分は、イラクが核兵器を開発しようとしていたというものだった。イラク国民には、それが平和利用を目的としたものであったのか、核兵器製造用だったのかは知る術もないのだが。

イラク国民は、70年代以降の自国が先進国の仲間入りをするのだと夢想していた。多くの人が誤った形で、1980年から85年までの5年計画として実施される巨大戦略プロジェクトの成果として、イラクがそういう地位を得ると信じていた。しかし前政権が対イラン戦争を開始したことにより、その夢は立ち消えとなった。続く8年の間に、国内資源の全てを費やすことになる戦争である。

原子炉の残骸は高さ35メートルの土塀で囲まれ、その地域上空には、敵機を燃やす目的で飛ばされた何十という気球が浮かんでいたが、これらも、1991年の米英の空爆からは施設を守り得ず、跡地は完全に破壊された。偽装を目的として、数十もの段階に分けられたプランがあったのだろう。5年前イラクに侵攻した米軍は複数のタンクを満たすウラニウムを発見したが、それはその当時差し押さえられた。イラクから原子炉跡を買い取ったカナダの専門会社がワシントンに依頼して、2週間以上の期間37回の空輸を経て3500バレルを極秘裏に運び出している。バグダード空港から太平洋の米軍基地へ、そこから船でカナダへという経路である。

戦慄と恐怖の作戦を伴った連合軍の(2003年の)イラク侵攻により、単純な人々は、衛兵も監視もいなくなった国家施設へ殺到し、ウラニウムで汚染されたタンクを盗み出した。それを日常生活で使用した彼らは、仲間達が不治の病に陥っても、自分達がさらされている恐るべき危険には無知であった。イラク当局が当該地域を消毒しこの破壊的残存物を回収したのは、しばらくしてからである。タンムーズ原子炉の残骸は、原子炉が破壊され内容物が盗まれた後になって、イラク国民に災いを成した。

第三世界の一国から先進国への移行は、原子炉建設によっては、あるいは戦略プロジェクトによってはもたらされない。人間を学び、自らを教育し、不要な関係性や廃れた価値観から脱却してこそ、真に豊かな先進国への第一歩を踏み出せるのだ。富と巨大な施設を多々有しながらも、原始的な考え方、古びた価値観故に、大多数の後進国と同じ位置に甘んじている国々も多い。過去に支配され現在とは、あるいは文明の兆しとは、一切関りをもたない。個々人に、幸福や、尊厳ある自由な生活の機会を与えるために働きかける人間らしい社会を称揚することと、彼らは無縁なのである。我々にとっては全てが警鐘である。悔い改めるべきであろう。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:14249 )