コラム:イラク一般市民の現状と政治家の汚職
2008年08月15日付 al-Sabah al-Jadid 紙

■ カリフォルニアの虎とイラク人の苦しみ

2008年08月15日付サバーフ・ジャディード紙(イラク)HPコラム欄

【マージダ・ムフシン】

合衆国カリフォルニアの動物園からイラクの動物公園へ虎2頭が贈られる事になった。この出来事が、人権団体ならぬ「動物権団体」の怒りをかっているという。

動物の権利を守ることに関心を有するある団体のリーダーは、声明の中で、この2頭の虎がバグダードで待ち受ける曖昧な未来へ向かって長い道のりを旅立った事につき、「団体メンバーの心は張り裂けている」と述べた。女優のキム・ベージンガーは、「国民が基本サービスも得られない国へ2頭を送るのは時期尚早」だと言った。

これらの発言は、イラク国民の悲憤を煽るものである。過去5年間、女子供老人が参拝する各地の聖者廟では数々の事件が発生し、そして今も発生し続けている。宗派や民族の違い、あるいはその姓名のみを理由に人々は、自身の家や店舗から立ち退かされてきた。様々な口実で行われる過激なテロリストによる抑圧や殺人行為から、誰もイラク人を救ってくれなかったのが現実だ。

1980年代から、イラク一般市民の大部分は、何処かの街で小さな家を手に入れるというささやかな事を夢見て日々暮らしてきた。そのような人々を、この5年の間は、電流や治安警察や分断壁が苦しめている。長らく望んだ変化が起きた後の現在、何故イラク人は、未だこのように苦しむ運命にあるのだろうか。一人の独裁者がいた場所を、今は何十人もの独裁者、民兵組織が占めている。彼らはバグダードをばらばらにして、各々その一片を占有し他のイラク人は入れない要塞に仕立て上げた。一体何の権利があってそんな事をするのか。法治国家は何処へ行ったのか。一般市民には適用される法が、党や民兵組織の長には適用されないのか。彼らは法を超越した存在なのか。

ムアンマル・カッザーフィー大佐の子供たちの例に見るように、国民の監視の目を逃れられるアラブ世界の政治家、権力者たちとその子弟、取り巻き達は、中東そして欧米諸国でスキャンダルの種になっている。イラクでの彼らは、他の人々の上、そして法律の上にふんぞり返ることに慣れてしまった。

彼らは大金を所有し、国民の運命をその手に握っているが、全ての人に適用されるべき法から最も遠い野蛮人でしかない。人間は、「並ぶ櫛の歯のように平等」なはずではないか。イスラムの陰に隠れる者達が少しもその教えを実践していない。「忘れたか。宗教とはモラル、倫理である」、預言者ムハンマドもそうおっしゃっている。「その倫理を完成させるべく私は遣わされたのだ」と。その宗教の三分の二は、人としての尊厳と高潔さから成るという。国民の資産を外国の銀行に貯め込む行為のどこにモラルが、高潔さがあろうか。国民に基本的サービスもまともな職に就く機会も与えず、他者を見下して、宗派・派閥主義で分け合ったポストを独占する。そのような政治家達に尊厳などない。

基本的サービスと治安が得られ、全ての人に法が適用される、そんな自然な生活ができるようになるまで、イラク人はあと100年は待たなくてはならないようだ。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:14511 )