コラム:シリア・イスラエル直接交渉の可能性について
2008年12月24日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ シリアはオルメルトの罠にはまるのか?

2008年12月24日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HP1面

【アブドゥルバーリー・アトワーン(本紙編集長)】

トルコの仲介により、シリア・イスラエル間では、掠め取ろうとする者たちの目を盗んで「何か」がとろ火で準備されているところである。クロアチア大統領のダマスカス訪問を機に行われた記者会見の際、バッシャール・アル=アサド大統領は、「間接的交渉のみでは和平実現が不可能なので、直接交渉の段階への自然な移行」(があるべき)と明言した。

アサド大統領のこの発言は、非常に重要なタイミングで慎重に選択されたものである。それは、本日に予定されているオルメルト首相のアンカラ短期訪問にシンクロしており、この突発訪問では同首相とシリア代表団との会見も有り得るとの噂である。

アサド大統領は言うまでもなくシリア側幹部は、自国の立場をあらゆる角度から深く検討した上で発言している。あらかじめ定められたシナリオから逸脱する事は許されない。このため、シリアの姿勢を科学的手法で分析しようとしても、公式筋(非公式筋は存在を禁じられている)が許可した以外の充分な情報を得るのが困難である。

アサド大統領の発言、イスラエルから漏れ聞こえる事、オルメルトのロンドン・アンカラ周遊、これらから推測できるのは、何らかの合意が形になりつつあるという事だ。間接交渉の段階はほぼ役割を終えようとしている。今すぐにではなくとも、交渉のテーブルでの対面という事態は避けがたくなった。

さて問題は、この時期、世界が新アメリカ政権のとば口に立ち、イスラエルはひと月半後に議会選挙に突入するというこのタイミングが、シリア・イスラエル直接交渉の準備、あるいはそれへの移行を急ぐのに、果たして相応しいのかどうかという点だ。

シリアとの交渉を急ぐオルメルトの熱意を理解するのは簡単だが、オルメルトに合わせ、その性急さに応えようとするシリア政府の措置は、理解し難い。オルメルト政権の任期は既に限られており、汚職事件により首相の座から刑務所へ直行するかもしれないという事は、シリアもよく知っているはずだ。

シリアの政策決定者たちの鋭敏さ、地域的国際的変転を正確に読むその高度な能力は疑いようがない。それ故にシリア外交は、少なくとも欧州諸国に対しては孤立の壁を破り、サルコジ仏大統領はじめ多くの欧州諸国の元首、外相の訪問を受けた。より重要なことに、シリアは政治的実効力をもってレバノンへ復帰した。しかしながら、オルメルトのラブコールに対するこの「性急な」応答は、時期尚早といえる。持ち前の慎重さと熟慮の結果ではない。

ゴラン高原からの撤退をちらつかせつつシリアとの交渉を「加熱」しようとするイスラエル、そしてオルメルト自身の目的は、シリアを戦略的盟友イランから遠ざける事であり、アラブ地域におけるシリアの強力な二大支点、南レバノンの「ヒズブッラー」と占領パレスチナの「ハマース」との関係を絶たせることである。それによりシリアは、対立する国から他のアラブ諸国のような「穏健な」国になる。シリアのメディアとそのレバノン支局が昼夜を問わず批判しているあの穏健派諸国である。

シリアが占領地を取り戻す事に異を唱えるものはいない。その全てが軍事的帰結でないにせよ、ほとんどのアラブ諸国は敗退し、パレスチナ抵抗を支持する事が一種の不信心のように扱われる現在は、「サウジ・ファースト」、「エジプト・ファースト」、「ヨルダン・ファースト」の時代である。しかし、イスラエルは本当にゴランから完全に撤退するだろうか。その結果としてシリアは、「悪の枢軸」からの離脱という以外のどのような成果を得られるのか。ゴランを取り戻した後のシリアはどうなるだろうか。

シリアのゴラン高原は、ヨルダン川のワーディ・アラバやシナイ半島とは違う。エジプト・イスラエル間の「キャンプ・デービッド」、ヨルダン・イスラエル間の「ワーディ・アラバ」条約が結ばれた時の状況と現在の状況は異なっている。シリア指導部は、これらの事実をよく知っているはずだ。

つまり、エジプトとのキャンプ・デービッドに署名した時のイスラエルは、エジプトを対立国家戦線から完全に引きずり出し、アメリカの戦略に結びつけてアラブの戦列を崩そうとしていた。見返りとしてサダト大統領は、物理的利益、経済的繁栄を国民にもたらすことを期待できた。スエズ運河通行料による収益(現在50億ドル)、石油、ガス輸出による収益(100億ドル以上、更に観光でもう100億)、そのうえシャルムッシェイクとタバ地域の観光収入も得られる。

シリアは40年間ゴラン高原なしでやってきた。そこでは石油もガスも出ない。先のレバノン戦争でみられたように昨今のミサイル製造技術により、シリアにとってもイスラエルにとってもゴランの戦略的重要性は縮小した。ゴランで産出されるものはりんごかぶどうであり、それらは他の地域でも山と採れるためシリア政府が輸出先に困っている品目だ。

40年間シリアは安定を享受してきた。イスラエルに対する最後の戦争は35年前であり、それ以降、戦争状態になったことがなくシリア経済がそのため圧迫されることもなかった。誤った時期、誤ったタイミングで直接交渉に訴えるほど、(国内経済)開発プログラムが滞っているわけでもない。

シリア経済が悪化したとすれば、それはその対立的(対外)政策や他のアラブ諸国による封鎖のせいではなく、経営のまずさと蔓延する汚職のせいである。このような経済事情が過去30年間とくに改善もされなかった事は思い返されてもよいだろう。シリアがアラブ諸国との強力な戦略的同盟関係に入り、そして今、主にエジプトとサウジによって孤立させられようとしているこの30年間である。

30年前エジプトはシナイを取り戻したが、戦争当時の経済状態は現在より良かった。1973年の10月戦争以前、エジプト各紙は、週末のチキンのために行列ができるという事をジョークのネタにしたものだが、現在それはパンを求める行列になっている。エジプトとアラブ共同体の誇りであったエジプト軍は、パン屋や運河労働者の一群となり養鶏場の世話をしている。

シリア経済についても、平和を好むようになった現在よりもかつての対立的姿勢を示していた時の方が良かったといえる。治安についても同様である。かつてのシリアは隣国から恐れられていた。シリアがアラブ共同体の命題実現において果たしている主導的役割はよく知られており、そのためシリアに横槍を出すような国はなかた。

経済的に遅れているから対立的政策を打ち出すのではない。経済的進展とゴラン回復には直接の関係性はない。マハティール首相は、石油資源を持たないマレーシアを10年足らずでアジアの経済的一勢力にした。

シリアの政策決定者は、イスラエルの約束に安心すべきではない。見返りにイスラエルが要求してくるものをよく検討せよ。シャブア農場、南レバノンのガジャル村について、イスラエルは現在まで譲歩していない事を常に心に留めるべきだろう。これらは本の数平方メートルの地区だ。広大なゴラン高原を譲るだろうか?

アラファト大統領はオスロ合意に署名し、イスラエル側の要請全てに応えた。何が返ってきたか。包囲され毒を盛られた。穏健な協力者として米イスラエルが歓迎したアッバース大統領は、オルメルトとの20回以上の直接会合をもってしても、一つの入植地も解体できず、西岸に600あるイスラエル検問所の一つも撤去できていない。

任期切れの首相と直接もしくは間接に交渉をして、もともとの同盟国との間に不和の種をまく必要は、シリアにはない。敵側、主にアラブ諸国は、(その態度の変化を)嘲笑するだろうし、待ち構えている過激派には国内の安定を揺るがす口実を与えることになる。先の一連の爆破事件のように。

世界は急速に移り変わり、弱ったイスラエルは欧米同盟諸国にとって倫理的、治安的な重荷となった。合衆国はイラクとアフガニスタンでの敗北に直面し、世界経済危機が欧米諸国を震撼させている。一方で、アラブの同盟者たち、ロシア、ブラジル、インド、中国はその勢力を伸ばしている。何故、「シリアは人々が戻って来る頃に巡礼に行く」のか?

シリア指導部に自制を求める。オルメルトの罠に陥らないように。シリアの敵は多く、わずかだったアラブの時代は終わろうとしている。思慮深さと警戒心が必要である。保証の無いまま、急いで回廊へ足を踏み入れないように。アラブの大義、パレスチナ問題から離れた後の偉大な国家エジプトに、残されたものは何だったかを考えてほしい。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:15403 )