コラム:エジプト・イスラエル和平条約調印30周年によせて
2009年03月26日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ 厄災の30年

2009年03月26日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HPコラム面

【アブドゥルバーリー・アトワーン(本紙編集長)】

本日、エジプト・イスラエル両政府は和平条約調印から30周年を祝う。しかし、その祝典は可能な限り内輪でひっそりと行われるようだ。この条約は、当事者たち、特にエジプト側に重要な変化をもたらしたのだが。

この条約は、イスラエルに平和と安全を、エジプトに富と安定を、そしてパレスチナ人には独立国家をもたらすはずであった。しかしどれ一つとして実現していない。イスラエルはレバノン、ガザの両戦争に敗北し、エジプト人の生活水準は継続的に落ち込み、占領地でますます盛んになるイスラエルの入植事業が両国の結びつきをすっかり浸食してしまった。

この条約に関して言えば、イスラエルは勝者である。エジプトをアラブ・イスラーム共同体の中心から引きずり出し、国内治安を揺るがし、そのアラブ・イスラームというイメージに揺さぶりをかけ、地域の一大勢力としての役割を封じた。イスラエルが進める入植プランの最大の脅威がエジプトであった。一方アラブにとっては、イスラーム的解放運動をもっともよく擁護し得るのがエジプトであった。

エジプト政府はシナイを取り戻した。しかしそれは、同地を三区域に分割し運河の東に駐留するエジプト軍は一個師団に限るといった、エジプトの主権をないがしろにする条件付きであった。このためエジプト政府は、イスラエル国境の見張り番に、それどころかイスラエル全体の治安の護衛者になってしまった。

エジプトやアラブ各国首都の戦略研究専門家たちは、これを「冷たい和平」という風に言い習わしているが、我々は反対である。この和平条約故に、廉価なエジプトの石油とガスがイスラエルに与えられ、シナイはノービザのイスラエル人観光客に開放され、エジプト政府は、イスラエル側から聞き取った「停戦合意」などというメッセージをガザの抵抗勢力に伝える使いっ走りとなった。これが「冷たい和平」なら、「熱い和平」とは一体どんなものか知りたいものだ。

以前は、シナイがイスラエル軍に占領されていただけだったが、条約以降、エジプト全体が米・シオニスト戦略に占領されるようになった。それは条約の条件、あるいは制約付きのアメリカによる資金援助などを通じて行われている。この「見えざる占領」は英国による直接の占領より一層危険であると言っても、言い過ぎではないだろう。1951年英占領下のエジプトは、現在よりもずっと力と主権と独立した意志決定能力を有していた。それをもって1936年の大英帝国との条約を破棄し、調印された時と同様エジプトのためにそれを撤回したのだと宣言した。

現エジプト政府は、イスラエルとの和平条約の一項目も違えてはならないと思っている。それ故、ラファハでは飢えたパレスチナ人を通さないよう国境警備隊を増強し、イスラエルに益する密輸行為をコントロールする。

サダト大統領は、生活水準の下落、特に1977年のパン暴動を口実として占領エルサレムへ行き、譲歩を示しイスラエルとの戦争を終結した。説教師どもに手綱を渡し、エジプトの民を飢えさせたのは彼らだとパレスチナ・アラブに対する悪辣なキャンペーンを行わせた。それは、アラブ・イスラーム運命共同体からの離脱、数千年エジプトが受け継いできたものから乖離する前触れであった。

条約以前、サダトによる忌まわしい占領エルサレム訪問の前、エジプト国民は、鶏肉を買うのに行列し大卒者の就職が1年かそこら遅れるということで苦情を言っていた。今、このよく耐える好もしい人々は、それらの日々に帰してくれと神の慈悲を請う。政府が約束した豊かな生活という夢は、パンを買う行列と高騰した失業率、公金横領の悪夢と化した。

エジプトがエジプトであった頃、その文学に見られるように、政府は、労働者、農民たちとの連帯を誇り、共に国をもり立てようとしたものだ。今のエジプトは、腐敗し貧者を虐げる為政者たちやビジネスマンによるコネクションに支配されている。彼らは自分たちのサークル、隠語、外国語の世界に閉じこもり、そこで、エジプトの誇りが取引されることにぼそぼそと異論を唱える。平時、エジプトでは2千万人が1日1ドル以下で、3千万人が2ドル以下で生活する。これは国際的な貧困の水準を下回る。

イスラエルとの和平から30年が過ぎ、エジプトの役割は、ラファハ・パレスチナ国境の14キロメートル、ミフワル・サラーフッディーンと称される一区画のみに制限されるようになった。しかしこの役割でさえ、エジプト領空を侵犯、エジプト国境を爆撃し40の家屋を破壊してエジプト国民を殺傷したイスラエル軍機により主権を失っている。更に危険なのは、ガザ封鎖を破ろうとしたレバノン船を拿捕しイスドゥード港へ牽引して取り調べたというイスラエル軍の船である。レバノン船はエジプト領海にいた。

偉大なるエジプトと栄えあるその民に悲しみを禁じ得ない。エジプト治安軍は、ラファハ・トンネルを通ってガザの飢える人々の元へ運ばれるところだった500頭の羊を和平条約違反の科で「逮捕」したそうだ。

いや、この和平条約には見過ごせない長所もあった。それは、エジプトの為政者をして彼らの不正と民の困窮を弁解させる良い口実をつくった。彼らは言う。「これはパレスチナのために行われたことだ」「パレスチナを解放するエジプトの戦争を支えるためであった」

30年間エジプト政府は一発も発砲しなかった。その間、北朝鮮は核保有国となり、韓国は世界最大の経済大国20の仲間入りをし、イランは衛星を打ち上げ欧州へ達する長距離ミサイルを開発し、国際核クラブに入るそぶりを見せつつアメリカに対話を強要しイスラエルを震え上がらせている。

我々の気持ちはエジプトの側にたちエジプトを注視している。この条約のおかげでここまで恥ずべき状況に陥ったのなら、なぜそれを撤回しないのだろうか。エジプトとその国民のために。この条約調印記念日は、まるで「娼婦の葬列」のように過ぎゆく。後ろ指を指され、誰も側には付き従わず、参列者は恥じて顔を隠す。物見高い者たちでさえそちらを見ようとしない。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:16079 )