コラム:エジプトとヒズブッラーの対立に見る中東政治情勢の特質
2009年05月07日付 al-Hayat 紙

■ エジプトと「ヒズブッラー」:相反する二つの政治理論

2009年05月07日付アル・ハヤート紙(イギリス)HPコラム面

【アムル・ハムザーウィー(本紙)】

エジプトに存在した「ヒズブッラーの細胞」事件とそれに続く同党とエジプト国家間の問題は、現下の中東政治において二つの相反する理論がせめぎ合っていることを鋭く我々に示している。国民国家があり、平時であれ戦時下であれ域内紛争の対処についてはその権力機構に委ねるという理論が、まず一つである。他方、その国家内で国の正当性も主権も認めず越境して活動する組織や運動に依拠した破壊、分裂的要素が機能している。中東の主だった闘争の場では、国民国家が不在もしくは脆弱な存在であるという事実が、この矛盾した状況と交錯し、その現象をさらに増大している。また、中東の大国の幾つかと地域の窓口的役割を果たす湾岸諸国が、自国の利益を守るため、国民国家主権の原則を無視する昨今の趨勢も、その現象の一端と思われる。実際、国家か非国家か、その二つの理論の矛盾と呼応を深く考察することにより、エジプトとヒズブッラー問題当事者の立場に肉薄し、更に、「ハマース」、レバノン国家、イスラエル、イランといった関係方面が、目に付かないところで各々どのようにイデオロギーのアピールやメディア・キャンペーンの応酬を行ったかを探ることが可能である。

エジプト国家、その支配エリートたち、「ムスリム同胞団」を例外として、反体制派も含めた大多数のエジプト世論は、領土内でヒズブッラー要員が活動していたことを主権の侵害であり国家の治安に対する脅威とみなしている。ところで、エジプト政府はこの活動に対処するにあたり国の治安、司法、政治機関を用いたのだが、そうするとエジプト内外で折に触れて行われる公的権力批判と、この問題についてのエジプト世論はいささか矛盾することになる。ヒズブッラー事件については公的権力が頼られたということは、国民国家の理論、それが責任ある政治的行動をするという理論が勝利したともいえる。

その他に三つの論点があるのだが、第一点は、ヒズブッラー指導部の発言に代表される。彼らは、ガザのハマースへ物資を提供することによりイスラエル占領に抵抗するパレスチナを勝利に導くことが、エジプトでの活動の目的であったと主張している。この言い分は、エジプト国家が行っている支援、交渉を通じてパレスチナ人に正当な権利を回復させようとの動きに対し激しい圧力をかけるものである。人命においても財産においても多大な犠牲を要した軍事的冒険(先のガザ戦争)へパレスチナ人を追いやった事だけがエジプトの役割であったと一部では思われている昨今では、なおさらだ。第二点として、レバノンにおけるヒズブッラーの位置づけがここに絡んでくる。エジプトの公式見解によれば、武装抵抗組織である彼らは、レバノン国家が軍事力を占有することも、公的機関として尊重される事も妨げてきた。ヒズブッラーは、レバノンにもたらした「無秩序」を中東地域へ輸出しようとしており、その中に長年の安定を誇るエジプトも含まれているというのがエジプトの見方である。第三点として、ヒズブッラーの行動と域内国家としてのイランの戦略との間には揺るぎない結びつきがあるという見解がくる。域内での影響力拡大を図るイランは、アラブ諸国家への内政干渉を政策として確立させている。イラクにおけるイランの役割、バハレーンでの敵対的立場、アラブ首長国連邦から三島を獲得し、抵抗をお題目に「ヒズブッラー」を通じてレバノンへ、「ハマース」を通じてパレスチナへ継続的に介入してくることについて、エジプト首脳部は大いに神経質になっている。言い換えれば、ここでのヒズブッラーは、イランの手先として中東各地で国民国家の安定を揺るがす域内政策に奉仕するものの代名詞でしかない。最後に、エジプトの公的立場を国内へ向けると、そこには、ヒズブッラーとパレスチナ抵抗支援というその目的の正当性を擁護する声もある。「ムスリム同胞団」関係とそれに思想的に近い人々、あるいは左翼的ライター達がその立場を礼賛する一方で、公式見解の方は、このようなグループを非国民的とみなす。国家権力にとって彼らは、国の主権を防衛し治安を守るという神聖な任務と、エリート支配体制に反対することを混同する危険な人々である。ヒズブッラー事件に関するエジプト国民議会の討議によっても、「国の安全は、抵触してはならないラインである」ということをムスリム同胞団に納得させることはできなかった。同胞団に対する公の攻撃は少しは緩和されたが、2009年4月22日付の声明で同胞団は、「抵抗支持の立場を固持する。……エジプト政府は、公正さをもって汚職と闘い抵抗を支援することによって我々の国民としての安全を守ったうえで、その治安をないがしろにしようとする者と対峙せよ」と述べている。これにより、同胞団が果たしてどの程度、国民国家とその主権を優先させる用意があるのかが疑わしくなった。

一方、ヒズブッラーは、「抵抗の正当性」並びに「抵抗を支援する正当性」という二つの言い分を組織的に用い、エジプトでの事件については、国民国家理論では応じてもらえない側を擁護するとの立場を示す。それにより彼らは、パレスチナの人々に正当な権利を回復させることのできない国民国家の失敗、中東の主立った戦線でそれらが不在もしくは弱い存在であること、たとえ存在してもその主権は、正当な抵抗運動を敵視する域内外の大国により常に侵害されているという現状を指摘する。

ナスラッラー書記長、シェイク・ヌアイム・カーシミー副書記長等の発言によれば、ヒズブッラーは、パレスチナ独立国家実現に向けイスラエル・アラブ交渉に携わったエジプト並びにその他のアラブ諸国の国家的不能と、ヒズブッラーのような第三者が、ハマースを筆頭とするパレスチナ抵抗運動支援において正当性を得たことの間に因果関係があるとみなすに至った。そしてヒズブッラーは、ガザ封鎖、イスラエルによるガザ戦争におけるエジプトの立場を繰り返し攻撃し、エジプト国家の役割は実際には不在である、イスラエルの度重なる攻撃からパレスチナ人を守る事もできなかったと宣言する。ヒズブッラーがレバノン国家を破壊し軍事力占有を許さず、混乱を他国に広めているとのエジプトの嫌疑を前に、ヒズブッラー指導部は伝統的見解を保持する。つまり、レバノン国家の脆弱性、その国土を防衛することもイスラエル占領から解放することもできない無力さ、それらこそが、ヒズブッラーを抵抗組織として発展させ、ついにはレバノン国土を解放させるに至った。そして現在、国民国家のない占領地でいかなるアラブ国家の支援もうけず活動するパレスチナ抵抗を救援しようとしている。この言い分は、治安と主権の神聖さを強調し、そのために闘うことを重要とするエジプトの立場を過小評価するヒズブッラーの見解と合致している。ヒズブッラーの政治イデオロギーの文脈においては、抵抗活動を敵対視するイスラエルとその同盟者たちにより治安が乱されている国民国家に優先順位はなく、抵抗の正当性を上回る主権の適用など認められない。

中東政治の展開を実質的、根本的に読む際、我々は、この二つの矛盾する理論を前にすることになる。国家理論と非国家理論の交錯、各々の背後にある勢力同士の角逐、それらは早々なくなるものではないだろう。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:16385 )