デラーラー・ダーラービー被告に死刑執行:殺人容疑、犯行時17歳(2)
2009年05月02日付 E'temad-e Melli 紙


デラーラー・ダーラービー被告に死刑執行(1)のつづき

殺人事件の詳細

 デラーラー被告の容疑は次の通り。被告は1382年デイ月7日〔2003年12月28日〕、ボーイフレンドのアミール・ホセインとともに窃盗目的でメヒーン・ダーラービー・ハギーギーさん(デラーラー被告の父親のいとこ)宅に侵入、ベースボールバットで老齢のメヒーンさんの頭を数発殴り、さらにナイフで腹部を数回刺した上で、金庫から現金と金を盗み出してメヒーンさん宅を去った。デラーラー被告の父親はその晩事件を知ると、被告の身柄を警察に引き渡した。

 被告は当初自らの手でメヒーンさんを殺害したことを自供、事件の詳細について次のように供述した。「アミール・ホセインがベースボールバットでまず背後から後頭部、及び腰を殴打しました。そして私に台所からナイフを持ってこいと言いました。私は言われたとおりナイフを持ってきました。アミールに刺せと言われ、私は刺しました」。

 検視によると、直接の死因は鋭利なもので貫かれたことによる肺の裂傷であるとされている。

 しかし、デラーラー被告は1382年デイ月28日〔2004年1月18日〕の公判で殺害を否認し、次のように話した。「アミール・ホセインが私に、メヒーンさん殺害の罪をかぶってくれと頼んだんです。彼は、『お前はまだ18歳になっていないから死刑にはならない。でももしこの秘密がばれたら、きっと俺は死刑にされるだろう』と言いました。私も18歳未満だから死刑にはならないだろうと考えて、嫌々ながら殺人を認めてしまったのです」。

〔中略〕

 デラーラー被告の弁護人が被告による殺害を否定するために持ち出した最大の根拠は、被告が左利きであるのに、被害者に加えられた攻撃の大部分が右側から加えられたものであるということだった。最高裁の裁判官たちは司法医の意見を検証した後、判決文の中で「デラーラー被告は他の多くの左利きの人々と同様、どちらの手でも自由に作業をすることができ、どちらの手でも上手に字を書くことができる。よって弁護人の持ち出した根拠は却下される」と述べている。

 デラーラー被告は公判の中で何度も、自分は人殺しではないと主張していた。

 デラーラー被告は人生で最も辛い6年間を刑務所で過ごし、今、すべての努力もむなしく処刑された。

〔後略〕

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「デラーラー・ダーラービー被告に死刑執行(1)」をよむ
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( 翻訳者:佐藤成実 )
( 記事ID:16413 )