コラム:ハリーリー暗殺への関与容疑とヒズブッラーの対応
2009年05月28日付 al-Hayat 紙

■ 「ヒズブッラー」ともう一つの見方

2009年05月28日付アル・ハヤート紙(イギリス)HPコラム面

【ハッサーン・ハイダル】

ドイツ誌「ディ・シュピーゲル」によって、ハリーり暗殺に関与しているとの容疑をかけられた「ヒズブッラー」は、同誌の記事をイスラエルに示唆された、どころかイスラエルによるねつ造とみなすと表明した。これもまた、ヒズブッラーのイメージを損ないレバノン国民の間に争いの種をまこうとするイスラエルの戦略の一つであるという。そして、ドイツ誌の記事を「(レバノン内戦の引き金となった)アイン・ルンマーナのバス停よりも危険」と評したワリード・ジュンブラートの発言を歓迎している。しかし、この記事がそれほど危険なものであるなら、なぜヒズブッラーは、当然の職務としてこの問題に関心を抱くメディアを無視しようとするのか。なぜ、この件に関する反応を報道しようとした「アル=アラビーヤ」のようなテレビ局に対し、その技能をあげつらって攻撃するような真似をするのだろうか。問題となっているドイツのニュースが、さほど重要でもないというのなら、メディアを無視するのもわかるのだが。それとも、頭から毛布をひっかぶって見ないふりをしろというのが、同党が呼び掛けるやり方なのだろうか。メディアに疑念を向けるよりも、ドイツ誌の記事内容に正面から反駁し、その中でヒズブッラー要員として名を上げられている「グムルーシュ」だの「ハーッジ・サリーム」だのについての情報を提供するというのが、まっとうな態度ではないだろうか。

もし、上述のテレビ局がその報道において「行き過ぎた」とみなされるというなら、事はドイツの記事だけにとどまらない。同党は、(そのようなメディアの姿勢は)政治的に意見を異にする人々によるヒズブッラーの立場への攻撃であるとほのめかす。レバノンやその同盟諸国に対し武装勢力としての在り方や立場を押しつけている彼らは、政治家、一般市民、メディアを問わず、それに納得しない方面を反対者とみなす。昨年5月、テレビ局「ムスタクバル」放送に放火した武装集団を我々は知っている。

ヒズブッラーにとって、同党を支持しないものはすべて「被疑者」、「敵」、「裏切り者」である。彼らはレバノンの政治家たちをこう形容することをためらわない。政治家たちは、イスラエルの南レバノン撤退後、国家再建政治プロセスに参入した彼らに武装解除を求めただけなのだが。つまり、ヒズブッラーは、自らを抵抗を任とする軍事組織としかみなさないということだ。政府や国会に参画してはいるが、それは治安面を基準としており、真に政治的営為にかかわっているとは言い難い。彼らにとって政治とは、自分たちの組織の設立要件からの逸脱であり、(どことも限定されない)「占領地」解放、対イスラエル闘争というその任務を歪曲するものである。したがって、レバノンをイスラエルとの対立における戦略的人質国としておくことに同意しないならば誰でも、国会や閣議で席を並べていたとしても、躊躇なく売国奴呼ばわりする。周辺国は例外なく、公式にあるいは実質的に休戦措置へと向かい、国内問題の処理や経済成長に関心を移しているというのに、ヒズブッラーにとってレバノン国民は、抵抗と戦争のための一集団でしかない。

ヒズブッラーがイスラエルの標的となっているからといって、このようにむやみと他人に嫌疑をかけ、不正で高圧的な評価を下してもよいということにはならない。レバノン人、アラブ人、特に政治家たち、またメディア一般は、ヒズブッラーが抱いている治安上の恐怖のために犠牲になる必要はない。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:16558 )