コラム:レバノン国会議員選挙結果について
2009年06月08日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ これまでどおり!

2009年06月08日付クドゥス・アラビー紙(イギリス)HPコラム面

【イリヤース・ホーリー】

2000年選挙でラフィーク・ハリーリーは、支持者たちに、「(候補者名を)消すのではなく、そのリストを落とせ」*と呼び掛けた。2009年選挙において、そのスローガンはレバノンの状態を示す特徴となった。

6月8日月曜の朝、選挙結果と共にレバノン国民は、それが国の政治には何ら変化をもたらさなかったことを知った。まるで選挙など行われなかったかのように。数々の危機と戦争、政治演説に満ちた過去の4年間がなかったかのように。レバノン選挙史上でも熾烈を極めた競争の後で、何も変わらないとすれば、選挙というものをどのように理解すべきか。

選挙結果を推移する世論の指標として読むことができればよいのだが、ここでは、世論という言葉に問題がある。それは、各個人が市民としての感覚を有するという前提にたった概念である。もしこの市民がある宗派に属していたとすれば、そこでは世論という概念が意味をもたなくなる。各宗派は、特定の閉鎖的な立場を形成し、他派と連立する時をのぞいて変化を嫌う。

キリスト教各派の政治演説においては、種々の分裂状況が認められた。ミシェル・アウン主導の国民自由潮流とレバノン戦線、レバノン軍団とカターイブという二大政党が主力となった二つの陣営は、ほとんど同じ宗派主義に満ちた言葉を用いていた。しかし、ヒズブッラーと連帯するアウンの演説に見られた分裂には、かつてアウンが得ていた一般からの支持が後退したことが示されていた。結果として、純然たるキリスト教地区、バトルーンとクーラの二選挙区で彼らは敗退することとなる。しかしこれは、選挙結果には影響しなかった。依然として古顔が残っている。では、なぜ選挙などするのだろうか。

シーア派の南レバノン、スンニー派の北部、ドルーズの山岳地帯、スンニーのベイルート、ほとんどの選挙区で、現実には選挙など行われなかったに等しい。それは選挙というより国民投票であった。選挙戦はキリスト教地区でのみ発生した。そこでも、わずかの例外をのぞいて、シーア派並びにスンニー派が決定票となった。ジュバイル、バアブダではシーア派が、ザハレではスンニー派が形勢を決した。メトゥンではアルメニア票であった。ターシュナーク(アルメニア政党)による層の厚い投票にもかかわらず同党自体は勝利しなかった。ベイルートとザハレで3名の候補者を落とし、結果として3議席を守ったにすぎない。

2005年と同じ状態で選挙は終結した。(選挙区割りを決定するのに、)ガージー・カナアーン法と呼ばれた2000年の法律から1960年の法律に戻してみたところで、何も変わらない。宗派的配列だけが形勢を決める。レバノンは2005年選挙後の政治シーンへ戻った。

欧米のアナリストは、これをヒズブッラーの武装に関する国民投票としてその政治的意義に注目するが、3月8日勢力(アウン、ヒズブッラーを主軸とする反体制派)の敗北は政治的選択としてではなく、宗派的選択の結果生じたという事を彼らは見逃している。政治的と宗派的、その二つの間のギャップは遠大である。なぜなら、宗派は政策などもたない。権力内でいかにして有利な場を得るかという事のみに専心する。アウン派は、イスラム抵抗勢力並びにシリア支持という点で、キリスト教世論を根本的に変えることに成功したかのように見えた。しかし、キャンペーンスローガンがたちまちこの印象を薄れさせた。レバノン軍団派と同じくアウン派も、宗派的スローガンにどっぷり浸っているからだ。権力内でマロン派を有利にするためとの口実で、彼らは政治的選択を行う。外部からはきわめて政治的な問題に見える事が、実はレバノン国内では、癒しがたい宗派病となって顕現する。

選挙がレバノン国内の政治バランスを変えるだろうとみなした人々もいるが、宗派的現実がそれをきっぱりと拒否したのだ。選挙準備期間とは各宗派が自陣の守備を固めるためのものであり、選挙は武力を伴わない内戦である。内戦において理性は機能せず、本能のみが政治シーンを支配する。このため選挙は行われ、しかもまるで行われなかったかのように見える。レバノンの人々は、いくらかの名前が入れ替わったのに気づく。しかし、最終結果は変わらない。

これを見て、レバノンでは宗派間の合意が絶対であると言う人もいるだろう。そしてそれは事実かもしれない。しかし、この「合意」見解を示す人々が無視しているのは、この国内的合意が、(近隣諸国間の)地域的バランスにより制御されているという事だ。このバランスが揺らぐと、「合意」は風前のともし火となる。

宗派から国は生まれない。これがレバノン選挙の最終結果だ。レバノン情勢、レバノンで提起される政治的選択に対する理性的な分析は、全てここから始められるべきだ。しかし、宗派主義の撤廃、そしてアラブ式世俗主義へと至るためには、このアラブ的発想自体を根本から変える事、政治構造の抜本的変革、市民法の改革等々の恐ろしい作業が必須であり、そのためには政治思想の一大ワークショップを開催しなくてはならないだろう。かくしてレバノンは、「これまで通り」なのである。


*宗派による議席数が定められているレバノン国会選挙では、各選挙区で宗派間が連携し、一定の候補者の組合せ(リスト)を提示する。ひとつの宗派の内部で各種の派閥があるため、このリストは複数となり、投票者は、その中から支持する組合せを選択してそのまま、あるいはその中で支持しない候補者名があればそれを消して、投票箱に入れる。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:16640 )