コラム:イラン大統領選の結果について
2009年06月15日付 al-Hayat 紙

■ 辞典の番人

2009年06月15日付アル=ハヤート紙(イギリス)HPコラム面

【ガッサーン・シャルビル】

英国でもオーストリアでもなく、イランである。民主主義ゲームが開けっ広げに行われるわけがない。ホメイニ師の絵姿の元、最高指導者の監視下で行われる民主主義である。投票者は、自らの怒りや反対で体制を脅かすことはできない。候補者たちが最終的競争に行きつくまでに、不穏分子は確実にいなくなる。つまり、選挙とは、革命がつくりだした体制への忠誠心を改めて示す機会にすぎない。停滞を和らげる装置である。名前を入れ替える、あるいは、大物には手をつけず、入れ替えを行う事なら自分たちにもできると勘違いするための良い機会なのだ。

イラン大統領は政策立案者ではない。決定も行わない。外交、国防、治安、情報、文化の全般にわたり決定権を持つのは最高指導者である。イラン大統領は、こうして決定された政策を通訳し、それのセールスを行い、外へ向けて表現して見せるだけである。しかしこれが、その大統領の個性や独自の方針、彼の人気などを完全に無に帰すというわけでもない。ハタミの例がそれを示している。今回最高指導者がアフマディネジャードの側についた事を通じても、それは確かである。

イラン大統領選挙について持ち上がっている疑惑も、アフマディネジャードが広範な支持を得たという事実を無効にはしない。彼の勝利は、最高指導者、軍部、治安組織の影響力、並びに治安、経済社会における「革命防衛隊」の比重などから理解できる。しかしそれだけではない。石油収益を国民の食卓へとの公約は実現されなかったにも関わらず、イラン国民は再びアフマディネジャードへの忠誠を示して見せた。増大する失業率にもかかわらず、彼に投票した。ここで疑問が生じる。イランの人々は経済的繁栄よりも力の方に関心があるのだろうか。「大悪魔」の顔面に振り上げられた拳に、彼らは投票したのか。アフマディネジャードが域内、イラク、レバノン、そしてガザで達成した事が彼らを喜ばせたのだろうか。国内経済の破たん、国際的孤立という反体制派の警告には、なぜ耳を貸さなかったのだろう。最高指導者がアフマディネジャードの勝利を祝ったことは、イランが、国内外の選択をめぐって深い分裂へ向かおうとしている事を露呈してる。そして、体制が「ビロード革命」を抑えるために用いた強権によっては、変化を起こしえなかったという人々の挫折感や失望まで禁じることはできない。

イランは、アフマディネジャード辞典を権威として今しばらく存続することにした。それは、バラク・オバマ辞典とは程遠く、また、イスラム世界へ向けた彼のスピーチが起こした風とも無縁である。イラン辞典が用いる言葉は、トルコ辞典のそれとはかけ離れている。そしてシリア辞典の用語とも異なる。言葉と振る舞いを近づけようというオバマが真面目にそう言っているとすれば、その分だけイラン辞典は国際的に、また地域的にも、奇異にみえることだろう。イラン辞典が現在の国際的地域的な穏健ムードとぶつかれば、まず利を得るのはイスラエルの極右政府である。

力だけでは十分ではない。カードを集めただけでは何にもならない。それらのカードを重荷に変えることなく、うまく用いるところが肝要である。アフマディネジャードは、「大悪魔」の姿が変わったことに気をつけなければならない。アラブは、彼が地図から抹消せよと呼び掛けた国と和平を確立しなければならない状況にある。もしアフマディネジャードが、イラン辞典の番人を演じることを自分の第一の任務だと心得れば、彼の新任期はイラン国民とその周辺国にとっての負担となるだろう。厳格な過去の辞典は、変転する世界を恐れている。柔軟さを持たない絶対の辞典である。かつて、ソビエト連邦という名の国が、辞典の一字一句に固執しすぎたため変転する世界に飲み込まれていった。そのことをイランは思い返す必要があろう。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:16700 )