イラクを訪問するイラン人参詣者の悲惨な実態
2009年07月09日付 Jam-e Jam 紙


【社会部:マルヤム・ユーシーザーデ】「母は、イランとイラクのまさに国境で、あまりの暑さのために私の目の前で命を落としました。ツアーには母を助けてくれるような医者は一人もいませんでした。約30分前のこと、国境にいるイラク人兵士に『母の具合が悪いんです。死んでしまうかも知れません。もっとてきぱきと仕事をしてくれませんか』と求めました。返ってきた返事は、こうでした。『はいはい、担当の者が来るから、そっちで待ってな』」。

 これは「強要された戦争」〔=イラン・イラク戦争〕のときのイラン人捕虜たちの話ではない。そうではなく、2~3ヶ月前に年老いた母親をイラクにあるシーア派聖地に連れて行こうと正規の参詣ツアーに参加した、我が同胞の一人が体験した人生最悪の瞬間の一コマをつづったものだ。当初から陸路での旅は無理だといっていたにも拘わらず、飛行機のフライトがキャンセルになったがために、致し方なく陸路でイランに帰らざるを得なくなった男性の年老いた母親は、インフラの未整備が原因で、イラクから帰国する途上でついに命を落としてしまったのである。

イラン人に何が起きているのか?

 私たちがアリー・シャッガーギーさんのことを知ったのは、彼が本紙読者欄「あなたの言うとおり」に寄せられた短い投書からだった。彼はその後、自身と母親に起きた出来事について詳細を話してくれた。そこからは、たとえ巡礼参詣庁公認の正規のツアーであったとしても、イラクを訪問するイラン人参詣者たちがいかに悲惨な状況に置かれるかを、垣間見ることができる。

宿泊施設はまるでアブー・グレイブ監獄

 アリーさんと彼の母親、ツアーに参加していたその他の参詣者たち‥‥(ツアーの名前については伏せておこう)、彼らはバグダードのじめじめとしたホテルの三階にある部屋に泊まった。窓のない狭い部屋は、恐らくアブー・グレイブ刑務所ともさほど代わり映えしなかったに違いない。しょっちゅう起こる停電のせいで、各部屋はさながら暗くて蒸し暑い独居房のようだった。トイレや風呂場も共同だった。参詣者たちがお祈りをするのも困難なほど、部屋は狭かった。

 ホテルにエレベーターはなく、3階と1階を行き来するたびに、螺旋状の長い階段を上り下りしなければならなかった。ツアーには医者はおらず、アリーさんは母親の具合が悪くなった際、現地の赤新月センターの元を訪れた。しかしそこにいたイラン人医師にはホテルまで出張する用意はなく、赤新月社のあるコンテナのところまで病人を連れてくるよう指示したという。しかし、体調を崩した年老いた母親には、外を歩く気力など残されていなかった。

オンボロ・バスでの旅

 イラクで宿泊したホテルが劣悪だったために、アリーさんの母親の体調はさらに悪化した。8日間に及ぶイラクの旅は、ツアー責任者の次のような発表で終わりを迎えた。なんと、イラクからイランへのフライトがキャンセルされたというのだ。そのときはツアーに参加した参詣者たちには知らされていなかったが、イラン・イラク間のフライトがキャンセルされたのは、イラク側が約束を破り、飛行機のチケットの値段をつり上げようとしたためであった。

 アリーさんは次のように説明する。「彼らにも言ったんです。母は病気だから、バスで移動するなんて無理だって。でもどうしようもありませんでした。運転手も国境まで僕たちを連れて行くのを嫌がって、結局バスが来たのは日中の本格的な暑さが始まるころでした。運転手はいやいやバスを運転しているように見えました。私たちが乗っていたバスは、とてつもなく古いバスでした」。

 アリーさんやその他の参詣者たちが乗っていたバスは、国境地帯に向かっていた約600台のバスのうちの一台だった。これらのバスは、イラン人参詣者たちを運ぶためだけに運行しているバスで、イラクに駐在しているイラン巡礼参詣庁の代表メフディー・ショクルアーラー氏によると、「こういったバスはどれも、平均して10年間使い回されている」という。

 そのためだろうか、イラク沙漠の約48度の灼熱地獄の中、参詣者たちを運んでいるバスのクーラーからは、熱気しか出てこなかったという。そのせいで、気分を悪くする乗客たちも多かったようだ。

国境で立ち往生

 参詣者たちが国境に着くと、そこには約50台のバスが国境通過を待っていた。このようななか、アリーさんの母親は暑さによって容態が急変する。アリーさんは国境勤めのイラク人兵士に、速やかに国境を開放してくれるよう懇願したが、兵士の対応は冷たいものだった。そしてついに、2万5千トマーン〔約2500円〕と引き替えに出国審査を早急に行うことを約束したとき、年老いた母親は息を引き取ったのであった。

 ツアー一行は、アリーさんと母親の遺体を残して、陸路の旅を続けた。「遺体となった母を軍関係の車両の後部に乗せて、へんぴな村の診療所に連れて行きました。そのときはまだ、母が息を引き取ったのか確信が持てず、もしかしたら息を吹き返すのではないかと希望を持っていたからです」。

 しかしたとえアリーさんの母親がそのときまだ息をしていたとしても、国境付近にあるへんぴな村の、診療所を名乗るビルの中でどのみち命を落としたであろう。何と言っても、その診療所には医者も、蘇生・回復のための器具もなかったからだ。

 アリーさんは何とかして、イラク人たちから母親の遺体を取り戻した。もしそこにイラク人に事情を説明することのできる、ペルシア語の分かる人がいなかったら、アリーさんは母親の遺体をイラクに残したまま、イランに帰国することになったかもしれない。

イラクは問題だらけ

 アリーさんとその母親がイラクで遭遇した悲しい出来事は、イラン人参詣者たちがイラクで体験している困難の、氷山の一角にすぎない。参詣者の数に見合わないほど治安関係者の数は少なく、往来の道には危険が満ちている。まともな食事もなければ、交通機関やホテルもない。飲み水も不足し、環境は汚染され、様々な病気が蔓延し、医療体制は未整備で、特に薬が不足している。

 このような劣悪な状況についてはあまり報道されてこなかったが、しかしこれらの問題はツアーで訪れようと個人で訪れようと、イラン人参詣者の多くが経験している問題なのである。

一日200万ドルがイラクに

 現地調査や参詣者たちへの聞き取りの結果、イラク訪問の際、イラン人参詣者一人がイラク経済に落とすお金は、平均して100万トマーン〔約10万円〕であるとされる。これに対して、イラン巡礼参詣庁のモスタファー・ハークサール=ガフルーディー長官がジャーメ・ジャム紙に語ったところでは、イラクにイラン人が落とす額は平均してこれよりも少なく、約500ドル程度だろうと推測している。

 ハークサール=ガフルーディー長官によると、イランは一日に3000人以上の参詣者をイラクに送り込んでいるという。この数字には、無許可でイラクを訪問する個人参詣者は含まれていない。「当局が把握していない参詣者の数は、〔宗教的に〕特別な日ともなると、許可を得てイラクを訪問している参詣者の数とほぼ同数になる」。

 長官のこのような発言から分かるのは、通常の日にイラクを訪問するイラン人参詣者の平均数は許可・無許可を含めて1日4000人程度で、各自500ドルをイラクに落とすと仮定するならば、イランは1日に200万ドルをイラクにもたらしているということだ。特別な日ともなると、イラク訪問者数は1日6千人程度、額にして300万ドルにもなると考えられる。

イラン人参詣者一人で原油7バーレル分

 イラクはここ最近、原油1バーレルを約70ドルで市場に供給している。このことからイラン人1人につき500ドル、原油量に換算して7バーレル以上の利益をイラクにもたらしている計算だ。このように、イラン人参詣者たちは多額の利益をイラクにもたらしている。にもかかわらず、彼らが享受しているサービスはきわめて低いというのが現状だ。

大いなる疑問

 イラン巡礼参詣庁は、イラン人参詣者がイラクで直面している最大の問題は何かとの質問に答える形で、次のように述べている。「最大の問題?すべてがイラクを訪問するイラン人参詣者たちにとって問題ですよ。主だったものとしては、インフラの未整備、政情不安、独立した政府の不在、といった問題を指摘することができるでしょう」。

 イラン人参詣者を受け容れるにあたってのサービスがきわめて低いからと言って、それをイラク人当局者のせいにすることはできない。イラク人たちは何年もの間、独裁や戦争に苦しみ、貧困にあえぎ、生活上必須のサービスも享受できない状態に置かれていたからだ。このような状況下で、イラク人たちが自国に入国してくる参詣者たちに適切なもてなしができないとしても、決して不思議ではない。問題は、このような状況にも拘わらず、我が国はなぜいまだ1日に約3000人もの参詣者をイラクに送り続けているのか、という点にある。

政情不安を看過すべきではない

 イラン巡礼参詣庁は、イラクでの流血の爆破事件で殉教したイラン人参詣者たちは同庁の監督下で派遣された人たちではないとして、責任逃れに終始している。しかしここ数ヶ月のうちにイラクで起きた数々の自爆テロ事件(例えば、今年オルディーベヘシュト月〔4月下旬~〕に150人以上のイラン人死者を出した、ディヤーラやカーゼマインでの惨劇)から分かるように、イラクを訪れるイラン人参詣者たちをめぐる治安状況はきわめて劣悪だ。

 イラン人参詣者たちは、保健衛生や交通、宿泊といった点で適切さを欠いた状況に耐えてきた。しかし治安面での不安は簡単に看過したり、他の不便さのように寛大に受け容れたりすることのできるような問題ではないはずだ。

参詣者の派遣は中止すべき

 イラン巡礼参詣庁長官は以前にも、ジャーメ・ジャム紙とのインタビューの中で、「なぜ巡礼参詣庁は参詣者の派遣を中止しないのか」との質問に、「たとえわれわれが参詣者のイラク派遣を法的観点から中止しても、彼らは無許可でのイラク訪問を続けるだろう」と語ったことがあった。

 長官はこのように述べるが、しかし数年前にイラン・イラク国境が閉鎖されたとき、イラクを訪問するイラン人参詣者の数はほぼゼロになったことがある。法を破ってまでしてイラクを訪問し、命を危険に晒した者はいなかったということだ。それゆえ、イラクでのイラン人参詣者が経験している不快な状況に鑑み、少なくともイラクの政情が安定化するまで再び両国の国境を閉鎖するよう提案しても、さほど場違いではないはずだ。

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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:16934 )