コラム:日本の政権交代について
2009年09月01日付 al-Hayat 紙

■ 日本の革命?

2009年09月01日付アル・ハヤート紙(イギリス)HPコラム面

【ハージム・サーギーヤ】

観測者、コメンテーターたちの見解によれば、日本で投票箱を通じて起きたことは《革命》なのか?

イエスでありノーである。

イエスの部分は、1955年以来、その与党支配が11カ月を超えて途切れた事のなかった《自由民主党》が総選挙で敗北したこと。実際、《日本民主党》に308議席を許し119議席しか得なかったというのは大きな違いである(国会議席は480)。それ以前は、民主の112に対し自民党議席は303だったのだから。

こうして、日本で《第二次大戦後》と呼ばれた長い時期、自民党がその象徴であった時期は終了した。そのかつての盟友イタリアで《キリスト教民主党》が去ったのと同様に。

しかしながら、勝利政党、民主党はそのイデオロギー的方向性において自民党と大差ない。前者は後者から分岐した政党であり、首相を継ぐ予定の党首、鳩山由紀夫は、1993年に離党し、その代替政党としての《民主》設立の試みに参加するまでは自民党に所属していた。鳩山の社会的出自としては、産業と政治で知られた一族の後裔であり、祖父の一人はブリジストンタイヤ会長、もう一人の祖父は元首相である。ちなみに、現首相、自民党首の麻生太郎も鉱山所有者と首相を祖父にもち、彼の前任者たち、安倍晋三、福田康夫もまた、元首相を祖父にあるいは父にもつ。

とはいえ、《オバマ時代》とその理論にふさわしく、世界第二の経済を有するとみなされる国で、象徴は顕著な力をもつ。自民の星が沈んだというだけでも、日本の政治における因襲的、伝統的構造に揺れが生じたという点で大きな出来事と言える。第二次大戦後の日本が経済大国として変容を遂げつつも、政治的には、伝統的、もしくは封建的とさえいえる規律を残していることはよく知られている。都市部に支持を求めたそのライバル政党に比して、広範な農村部に支持基盤をもつ自民党が台頭したことも、この観点から理解できる。2005年以来一度の選挙も行わず3人の首相を交代させ国政を運営したという点にも《封建的やり方》が見られる。また、自民党候補者の三分の一は、元々国会に議席を有した家系の出身者である。民主党の方では、その率は10%に落ちる。加えて自民党は、民族主義的ショービニズムの傾向が強く、事を進めるに大物の年長者の合意が必須である性質で知られる。その性質が、党の動きを鈍らせ、若年層を停滞させている。このあたりの事情は、麻生太郎が、女性を皇位につけることを禁じる法改正に熱心であった際に見られた。

しかしとにかく、多くの問題に囲まれつつも、この選挙により招かれた変化はあったといえる。

鳩山は、大企業を支持する経済政策を消費者と労働者支援へと変えると言う。また、硬直した官僚制度を改革し、同時に福祉国家としての枠を広げると誓約している。これらは、日本がかなりの負債をおっていること、医療保障予算を費やすべき高齢者が増加していることなどをみると、達成可能なのかどうかは疑問である。合衆国でオバマの社会公約が直面している困難が、日本の新星の途上にもあると言える。

鳩山は、外交政策においては合衆国との信頼関係を保持しつつ、そこからの独立の余地を広げる新外交を公約している。そこでは、米軍基地に関する協定が見直され、近隣アジア諸国と東京との関係を改善し、ロシアとの国境の島々に関する対立を終わらせることが目指される。これは、北朝鮮問題へとつながり、将来的に米ロ関係に影響を与えるものである。

最後に言えることとしては、まず我々の時代の革命は革命とは言えない。そして、日本は、もし最悪の場合でも、イタリアのキリスト教民主党がベルルスコーニに場を明け渡した際のようなことにはならないだろう。

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:17336 )