コラム:日本の政権交代にみるエジプトの選挙と市民権の問題点
2009年09月27日付 Al-Ahram 紙

■選挙と市民権
2009年09月27日付アル・アハラーム紙(エジプト)論説面
【ハーズィム・アブドゥッラフマーン】
 エジプトにおける選挙と日本やドイツにおける選挙は別物である。非常に残念ながら、かの国で行われていることと、私達の国で起きることには違いがある。
(1)
 次の総選挙で人民議会の過半数の議席を得て国民民主党が勝利することだけが、市民の権利の実現であるなどと考えることは、深刻な間違いである。また他の党が国民民主党に取って代わる、あるいは尊重されるべき議席の大半を国民民主党の競争相手が奪い取り、勝利するということが、例えば選挙全体を無効にすべき裏切り行為であるなどと考えるのも大きな間違いだ。
 国民民主党の支持者、あるいは他党の支持者が、雑談の中でこうした表現を口にすることは理解できるし、立候補者達が選挙区の有権者達が自分に投票しない理由を、このような言葉を使って説明するというのもありうることだ。だが国中でこうした表現が使われているというのは、受け入れがたい問題だ。
 政党が国家の重要な優先事項であると考えている諸問題について、国民に政党を選択してもらうため、あるいは政権を継続させるか下野させるか、国民の信任を新たに受けるために、政党は国民の意見を問わねばならない。党が永遠に政権に居続け、下野は〔国民の与党に対する〕裏切りであるなどと考える立場は、市民権の息の根を止めるものだ。特定の政党をいつまでも選び続けることが市民権の条件であるなどと、誰が言ったのであろうか。
(2)
 数週間前に日本国民は、国内事情のために、自民党政権を野党の民主党に交代させることを決めた。この政権交代は1954年以来、数週間前に行われた最新の選挙で政権を失うまで、一貫して自民党が政権にあり続けた後で起きた。唯一の例外は、〔自民党が野党に転落した〕1994年の10ヶ月間だけであった。
 結果が公表されるとすぐに与党自民党は敗北を認め、麻生太郎首相が涙ながらに選挙における党の失敗の全責任を負うと述べた後、党首と首相を辞任した。日本国中、国民が裏切ったとあえて言うものはいなかった。あるいは政権を奪った野党の民主党は陰謀を計画していたとか、選挙準備のために秘密会合を開いていたとか、民主党はやくざや暴力団との怪しい関係を持っているなどと言う人もいなかったし、マネーロンダリングで選挙資金を調達したと言う人もいなかった。野党は合法的な存在で、完全な法人なのだ。だが最も重要なのは、日本において真の市民の権利とは、与党の利益のための投票ではなく、国民が望むものを自身で決めることを意味するのだということが示された点であり、国民は誤った選択をしないということが示された点であるのだ。
(3)
今日、日曜日にドイツでは同じく選挙が行われる。それはアンゲラ・メルケル首相を党首とする、キリスト教民主同盟とフランク・ヴァルター・シュタインマイアー副首相を指導者とする、社会民主党の戦いである。
 選挙結果に従って、メルケルがその地位に留まり続けるか、去るかということが決められる。シュタインマイアーに関しても同様である。そしてそれによって、ドイツにおける市民権の意味というのが、特定の政党の利益のための投票ではなく、あくまでも意見の表明であるということが明らかとなるであろう。意見の仕方や中身、誰が政権を担い、誰が野党になるのかということは関係ない。人々の意思が一致した結果でありさえすれば、そうした詳細は全て受け入れられるのだ。
 1917年から1990年までロシアを統治し続けたソビエトの下では、共産党以外のいかなる党を選ぶことも許されず、政権が継続したことを私達は覚えている。当然、政党はその輝きを失い、政治や精神の柔軟性を失った。魅力的な要素をいかなる市民にも示すことができなくなり、全ての人が不満を感じるようになって、ある朝、目覚めたら、厄介払いできていたらいいのに、と願うようになった。そして実際にそうなったのだ。

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( 翻訳者:平寛多朗 )
( 記事ID:17564 )