ベフヌード・ショジャーイー、キサース刑に処せられる:和解への努力も実を結ばず
2009年10月12日付 Jam-e Jam 紙

【事件部】1384年〔2005年〕に喧嘩の末、16歳の少年を殺害したベフヌード・ショジャーイーが昨朝、エヴィーン刑務所で処刑された。キサース刑〔同害報復刑〕の免除を求める様々な人々・団体の嘆願も、被害者遺族には聞き入れられなかった。

 ジャーメ・ジャム紙記者は、次のように報告している。
時計の針が朝3時30分を指した頃、ベフヌード・ショジャーイーに対する絞首刑が行われるエヴィーン刑務所の外には、最後の望みをかけて受刑者の親類らが集まっていた。処刑を目前にしたこの若者に、再び命を与えることができるのではないか――そう祈りつつ。

殺害された被害者の両親がエヴィーン刑務所前に現れると、集まっていた人々は両親を取り囲んだ。キサース刑免除に同意し、刑の執行を止めるよう懇願する者も現れた。

混乱の中、被害者の両親の声はかき消されたまま、彼らはエヴィーン刑務所の小さなドアから刑務所の敷地内に入った。

ベフヌードは2日前、キャラジにある「ゲゼル・ヘサール」刑務所からエヴィーン刑務所に、収監場所を移されたばかりだった。刑執行判事で、テヘラン刑事検察庁和解調停委員会の委員も務めているジャーベリー判事――同判事はこれまで数回にわたり、ベフヌードへのキサース刑免除を遺族に嘆願する会合に出席してきた――は、殺害された被害者の父親ナスロッラーヒーとの話し合いに再び臨んだ。刑の執行を見届けるためにエヴィーン刑務所を訪れた被害者両親に対し、ジャーベリー判事はショジャーイー受刑者の犯した罪の赦しを求めたが、それもムダであった。

時計の針が5時30分を指した。すべての努力は、徒労に終わった。ベフヌード受刑者の弁護人2名が数分間、同受刑者と声を交わした。受刑者は絞首台のロープを見て、明らかに震えていた。ベフヌードは再び殺害された被害者の両親のもとへと歩み寄り、刑の免除を懇願した。しかしこの懇願も、聞き入れられることはなかった。

ついに、青色をした絞首台のロープが、受刑者の首の回りに巻き付けられた。殺害された被害者の両親は、ベフヌードが乗った四つ足の台の足の部分をそれぞれ一つ手に持ち、それを引いた‥‥。

和解への努力も実を結ばず

 刑執行を受け、刑事検察庁長官代行のジャアファルザーデ次席検事はジャーメ・ジャム紙に、「残念ながら、刑事検察庁和解調停委員会の努力も、最後の最後まで実を結ばなかった。殺害された被害者の両親が譲らなかったため、法に基づき、刑を執行することになった」と語った。

 同氏はさらに、次のように付言する。「イスラーム刑法では、キサース刑は遺族の権利であり、遺族は自らの希望で、〔同害報復刑であるキサース刑の代わりに〕ディーヤ〔賠償金〕を受け取ることで、あるいは何の見返りも求めずに、自らのイスラーム法的権利を放棄することができる。もちろん、〔キサース〕刑の執行を断固求めることもできる」。

 同代行はさらに、「ベフヌードへのキサース刑が刑事検察庁刑執行部に送られてから、数回にわたって和解調停会議が開かれた。こうした会議には、芸術家やスポーツ関係者らが参加し〔、キサース刑の免除が嘆願され〕たこともある。しかしこうした努力は実を結ばず、ベフヌード・ショジャーイーはエフサーン・ナスロッラーヒーという名の16歳の少年を殺害した罪で、罰せられた」とも述べた。

 ベフヌードは罪を犯したとき、17歳であった。彼は4年間刑務所に収監されて、21歳になっていた。その彼は昨日、キサース刑の判決に従い、自らの行為の報いを受けた。

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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:17648 )