8件連続殺人事件の容疑者、逮捕:血の復讐劇に幕
2009年11月04日付 Iran 紙


【事件部】25年前、ある血塗られた部族抗争の末に父を失い、以来、父の敵を討つことを胸に生きてきた若者が、8件の殺人を犯すという痛ましい悲劇が起きた。62年〔西暦1983年〕、〔ファールス州〕カーゼルーン県ケナーレ・タフテ郡で起きた部族抗争で父マーシャッラーを失ったとき、モルタザーはまだ年端もいかぬ子供だった。それから長い月日が経った。被害者家族も、それぞれの人生を歩んでいた。そんな中、5番目の子供であったモルタザーは、父を殺害した犯人への復讐だけを胸に刻んで生きていた。そして85年〔西暦2006年〕、ついに復讐劇の幕が切って落とされた。
〔※その後の報道から、「25年前」は「20年前」、「62年(西暦1983年)」は「68年(1989年)」の誤り〕

8件の連続殺人劇

 85年ティール月〔2006年6~7月〕、カーゼルーン県刑事警察の捜査官らは、同県のケナーレ・タフテ郡でマーシャッラー〔※殺害犯モルタザーの父マーシャッラーとは別人物〕という名の男性が殺害されたとの通報を受け取った。ただちに、刑事事件担当判事とともに、捜査官らが現場に急行した。初動捜査の結果、男性は銃で撃たれて殺害されたことが判明した。また、残された証拠からは、殺害犯は男性の通り道で待ち伏せし、事前に用意した計画に沿って、カラシニコフ銃で男性を狙撃し、その後逃走したことも分かった。

 初動捜査の後、男性の遺体は法医学に送られ、刑事事件の専門家チームが本件の捜査を担当することとなった。しかし、事件犯人の手がかりは全く得られぬままであった。そんな折、同年メフル月〔2006年9~10月〕、警察は同じような事件が再び発生したことを知る。二番目の被害者の名前はハサン。この被害者も、カラシニコフ銃で銃撃され、殺害されていた。

 捜査官らがこの二つの事件の関係を捜査していた矢先、さらにもう一人の若い男性がカーゼルーン県で、同様の方法で射殺される事件が起きる。ファルハードという名のこの若者は85年エスファンド月〔2007年2~3月〕、バイクで帰宅途中に、自家用車に乗っていた人物から銃撃を受けて殺害された。目撃者が警察での取り調べで証言したところでは、犯人は2人組の若い男で、ファルハードを銃撃した後、現場から逃走したという。

 ファルハード殺害後、同じ一族同士のシェハーブおよびダーヴードという名の男性2名が、86年アーザル月〔2007年11月~12月〕から行方不明になっていることが分かった。その数日後、彼らは地域の悪党によって銃殺されたとのウワサが流れるようになった。

 さらに87年オルディーベヘシュト月〔2008年4~5月〕、今度はレザーという名の男性が同じ地区で銃殺されるという事件が発生する。警察の捜査の結果、この男性も何者かに銃で撃たれて殺害されたことが判明した。

 警察がこれらの殺人の関連性を捜査していたさなか、今年のシャフリーヴァル月〔2009年8~9月〕、同じような殺人事件が発生したとの通報がケナーレ・タフテ署の捜査官らのもとに寄せられる。現場に捜査官らが急行すると、3名の若者が次々と銃撃を受け、地面に倒れているのを発見した。捜査の結果、事件の数分前にカラシニコフ銃を手にした2人の正体不明のマスク姿の男が、スーパーマーケットの前に停車中のナンバープレートを外したプライド車〔韓国KIA社の大衆車〕に乗っていたことが分かった。そして、そのうちの1人が武装したまま店内に入るや、銃を乱射したということだった。この恐るべき事件で、シャリーフという名の若い男性1名が15発の弾丸を受けて死亡、他2名が重傷を負った。

 捜査によって、サルダールという人物(通称モルタザー)が事件の首謀者として特定、ファールス州刑事警察長官のモハンマド・モハンマディー大佐の指示で、捜査官らはこの男の逮捕へ向けた捜索を始めた。モルタザーが頻繁に往来する場所が警察によって特定され、それと分からぬよう監視が続けられた。しかしモルタザーの行方は杳として知れず、ついに今年のメフル月〔2009年9月~10月〕、モルタザーによる最後の犯罪が発生することになる。

スーパーマーケットで犯罪発生

 事件はメフル月14日〔10月6日〕に起きた。カーゼルーン県ケナーレ・タフテ署の捜査官らは町の、とある路地で銃撃事件が起きたとの通報を受け、ただちに事件現場に急行した。そこで捜査官らが目にしたのは、血の海の中で倒れていたハーシェム(57歳)の姿だった。

 男性は自らが所有するスーパーマーケットの店内で銃撃され、殺害されていた。一報はすぐに、担当のケシュトカール殺人特別予審判事に伝えられた。犯罪現場の初動捜査から、殺害された男性は所有していた店舗をしばらく前から別の人物に貸しており、事件のあったとき、男性は視察のために同店舗を訪れていたところを、突然カラシニコフ銃を手にしたプライド車の乗員から銃撃されたことが分かった。

 さらに捜査を続けたところ、殺害された男性は地元の名士で、対立していた人物などは特にいなかったことも判明した。

 その一方で、捜査官らは目撃者の証言などから、この事件を起こしたのもモルタザーであることを突き止めた。そして警察による特殊追跡の結果、捜査官らはついに犯人の隠れ家がハメダーン州にあることを突き止めた。ただちに捜査チームがハメダーン州に急行、アーバーン月6日〔10月28日〕水曜日、突入捜査により殺人に問われている若い男を逮捕した。

 男の隠れ家を捜索したところ、カラシニコフ銃3丁、コルト拳銃1丁を発見した。モルタザーは取り調べの中で、8件の殺人と貴金属商への武装強盗を自供した。

「後悔なんかしてないね!」

 昨日、専門家ならびに記者らの前に姿を現した殺人犯モルタザーは、口元に笑みを浮かべながら、「父を殺した連中を殺したことに、何の悔いもない!」と断言した。

 男は続けて、「父が何者かによって誘拐された時、俺はまだ子供だった。しばらくして、父は殺された。でも、今まで父の遺体も見つかっていない。それからというもの、家族はこの事件が警察で取り上げられ、父の血が報われるよう大変な努力をしてきた。しかし俺たちに金銭的な余裕はなく、主張を証明することはできなかった。だからここ何年もの間、俺は父の血の復讐を成し遂げる力を与えてくれるよう、ただ神に祈り続けてきた。俺たちの不幸のすべての始まりは、父が殺されたことにあるからだ」と訴えた。

 モルタザーはさらに、「連中を殺しても、全く後悔はない。ただ、殺す気のなかった人物を一人、誤って射殺してしまったことだけは後悔している。この人物が死んだのを知って、俺は泣いた。だって、殺されるいわれのない人物の血を流してしまったんだから」と語った。

 男は続けて、ここ数年間に自らとその家族の身に降りかかった出来事の数々について語り、「もし父がいたら、悪い連中と付き合うこともなかった。兄弟が麻薬におぼれることもなかった。学校にも行けた。でも、俺は高校1年までしか行けなかった。それ以上は勉強を続けることができなかった。靴がない日もあった。服がないときもあった。勉強道具がないときもあった。経済的にも、とても貧しかった。俺が復讐を決意したのは、そんなときのことだった。俺は4年前から、アルコールを断った。父の血の復讐という望みを叶えさせてくれるよう、〔神に対してアルコールを飲んでいたことを〕悔い改めた」と続けた。

 モルタザーは一人の被害者を除いて、殺人の罪を犯したことに対して、罪の意識は感じていないと断言、「殺された7人は、社会のクズだった」と開き直った。

ファールス州治安維持軍長官の見解

 ファールス州治安維持軍長官のアリー・モアッイェディー司令官はこの事件について、次のように語った。「62年〔西暦1983年〕、ジョムエの子マーシャッラーという男性が、ケナーレ・タフテ地区で誘拐され、その後殺害された。この人物の7人の息子のうちの1人モルタザーにとって、この事件の記憶は身体的な成長とともに、辛い記憶へと変わっていった。被害者の5番目の子供であったモルタザーは84年〔西暦2005年〕、自らの父親を殺害した犯人を見つけ出し、事件に関わった人物について必要とされる情報を収集した上で、身勝手な行動を起こすことで父親の血の復讐を成し遂げようと試みた」。
〔※その後の報道によると、「62年(西暦1983年)」ではなく「68年(1989年)」の誤り〕

 同司令官はこのように説明した上で、「残念なことに、被害者家族は83年〔西暦2004年〕に訴えを提出したものの、加害者側が地域内で強い影響力をもっていたために、思うような成果が得られなかったようだ」と指摘、さらに「貧困と絶望の中で育ったモルタザーは85年、アブドッラーの子マーシャッラーという人物が父親の殺害犯であることを割り出し、この人物を殺害、その後続けて、ハサン・A、シェハーブ・Z、ダーヴード・Jを殺害した。ただし、後の2名については、いまだ遺体は発見されていない」と詳細を明らかにした。

 モアッイェディー司令官はさらに、「今回の事件の犠牲者の中に、85年に殺害されたファルハード・Qという人物がいるが、この人物は〔モルタザーの父殺害とは〕無関係で、ファルハードから〔姉妹・妻などが猥褻行為を受けたなどの家族の〕名誉に関わる問題で迷惑行為を受けたとの友人の訴えに応じる形で、モルタザーがカーゼルーンで射殺したものだ」と語った。

 同司令官はさらに、「〔最後に殺害された〕ハーシェムの友人で、彼と一緒にいることの多かったシャーレザー・Aと、ハーシェムの兄弟であったシャリーフ・Jの2人は、モルタザー殺害を企て、逆に返り討ちにあった模様だ。そして最後に、ハーシェム・Kが88年メフル月〔2009年10月〕、ケナーレ・タフテにある店舗の中でモルタザーによって射殺された」と説明した。
〔※その後の報道によると、「シャリーフ・J」は「ハーシェムの兄弟」ではなく、「ダーヴードの兄弟」の誤り〕

 同司令官によると、モルタザーは貴金属商、及び民家1軒に対する武装強盗、銃器の携帯、麻薬の運搬、恐喝、その他数多くの窃盗の罪にも問われているという。

〔中略〕

殺害犯は反社会的な知能犯

 容疑者と間近で接見したシーラーズ大学のバフラーム・ジョウカール教授は、今回の事件について、〔‥‥〕容疑者の生い立ちを見過ごすべきではないとした上で、次のように指摘する。
罪の意識は子供時代に形成されなければならないというのが、現在の考え方だ。そうすることで、〔子供の精神の中に〕良心が生まれるからだ。罪の意識とはつまり、もし規範に反した行いをすれば、良心の呵責に苛まれるという感覚のことだ。

父の復讐のためには殺人を犯しても罪にはならないという社会環境の中で、モルタザーは生きてきた。つまり、モルタザーが生きてきた社会の規範では、父の血は殺害者の血によって清められる、という考え方があるのだ。モルタザー本人のことばを借りれば、父親の殺害計画を練った人物を今年殺したことで、彼はやっと心の平安を得ることができたのだ。


 ジョウカール教授は、モルタザーは聡明な人物であり、警察の機先を制する形で犯罪に及んだケースもあると指摘し、さらに次のように述べた。
モルタザーは、〔社会とは無縁の猟奇的人物などではなく〕社会のまさに内部から生まれ出た存在だ。それゆえ、子供時代に父親が殺害されるという辛い経験をした5歳のモルタザーに対して、社会がどんなことをしてきたのか、よく考えてみる必要がある。学校などの機関は、モルタザーをきちんと認識していたのか、彼が抱えていた問題をちゃんとケアしたのか、といったことだ。


 他方、同じくシーラーズ大学教授で、ファールス州治安維持軍司令部思想室の一員として活動しているチャンギーズ・ラヒーミー氏は、今回の事件について、次のように述べている。
モルタザーは聡明な人物であるが、しかしそのパーソナリティーは反社会的である。というのも、彼にはひとかけらの罪の意識もなく、会見での話しぶりも完全に冷静で、問題をつねに外部のせいにする傾向があるからだ。

モルタザーは、殺された被害者は父を殺害した殺人者であり、腐った連中である、こういった罪深い連中を抹殺すれば、社会もラクになる、と信じて疑っていない。その一方で、加害者は麻薬の運び屋をしたり、武装強盗をしたりしているが、それは悪い友人たちとの交際のせいであり、自分には問題がないと考えている。

モルタザーは自分を裁判官であると同時に、その執行人、さらには刑事であると考えている。モルタザーが多くの情報屋を雇っていたのも、そのためだ。

〔後略〕

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( 翻訳者:斉藤正道 )
( 記事ID:17839 )