2009年には何があった?(no.1~10)
2010年01月01日付 Hurriyet 紙

1/1  7人の大学生がガス中毒死
アンカラで、3人の女子大生を含む7人の大学生が年越しパーティーを行った友人の家で、湯沸かし器の排気が逆風で室内にもれ、中毒死した。首都ガス株式会社社長ヴェイセル・カラニ・デミルは、事件に関し、同社にはまったく責任がないにもかかわらず、批難の矢がむけられたこと、さらに、同社長の記者会見での亡くなった若者たちに関する発言が誤解されたことを理由とし、1月3日に辞職した。

1/7  「エルゲネコン捜査」で衝撃逮捕
「エルゲネコン捜査」により、高等教育機構デマル・ギュレズ元機構長、国家安全保障評議会議元事務局長トゥンジェル・クルンチ退役大将、ケマル・ヤヴズ退役大将、イルヤス・チュナル退役少佐、参謀本部元司法局長エルダル・シャネル退役大佐、ムフタファ・レヴェント・ギョクタシュ元特別部隊少佐、ヤルチュン・キュチュク教授、元特別機動隊副局長イブラヒム・シャーヒンを含む人々が、逮捕された。最高裁判所名誉検事サビフ・カナドオールの自宅でも捜索が行われた。シャーヒン氏の家で発見された地図にもとづく捜索で、多数の爆発物と武器が発見された。キュチュク、クルンチ、ヤヴズ、ギュリュズ、シェネル、ブズオール、チュナルの各氏は釈放された。

1/10  ナーズム・ヒクメトの国籍回復
世界的に著名な詩人ナーズム・ヒクメト・ランのトルコ国籍はく奪に関する1,951年7月25日の閣議決定の施行停止が閣議決定され、官報に掲載された。

1/22  「エルゲネコン捜査」労働組合に波及
エルゲネコン捜査の第11波により、15の県で捜索が行われ、トルコ金属労組会長、ARTテレビ取締役社長ムフタファ・オズベキ、軍の少佐や機動隊警官を含む35人が逮捕された。

1/25  冬の娯楽で悲劇
ギュムシュハーネ県トルル郡のズィガナ山で日帰りの山歩きにでかけて17人のグループが雪崩にあい、10名死亡、7名が救助された。

1/29  「ワン・ミニッツ!」
世界経済フォーラムの枠組みでダボスで開催された「ガザ:中東における平和モデル」と題するパネルに参加したエルドアン首相は、イスラエルのシモン・ペレス大統領のガザ攻撃に関する発言に「ちょっと待て(ワン・ミニッツ)!」を繰りかえし、批判した。エルドアン首相は、司会者が「時間切れ」を理由にその発言を打ち切ろうとすると、「ダボス会議には二度とこない」といって、途中退席した。

2/20  メフメト・セヴィゲン辞職
共和人民党副書記局長メフメト・セヴィゲン、党の職から辞任した。

2/25  トルコ航空アムステルダム便墜落
トルコ航空所有のボーイング737-800テキルダー旅客機が、127名の乗客、7人の乗組員をのせてイスタンブル・アムステルダムへ飛行をした際に、アムステルダムスキポール空港への着陸時に地面に接触した。事故で3人のパイロットと1名の客席乗組員を含む9名がなくなり、100名近いが負傷した。

3/4  ミュネッヴェル殺人事件
イスタンブルの高級住宅街エティレルのゴミ・コンテナのなかで、死後に胴体はギターケース、頭部はゴミ袋に入れられた若い女性の死体が発見された。死体は、ミュネッヴェル・カラブルトさん(18)のものと判明した。殺人容疑者としてジェム・ガリプオールの捜索が開始された。4/27に、容疑者ジェムの父ニダ・ガリプオールが、「殺人幇助」の罪で逮捕された。3/31に、イスタンブル警察に特別捜査チームが編成された。7/2には、インターポールのインターネットサイトにジェム容疑者の捜査に関する広報が掲載された。ジェム・ガリプオールは、9/17に、イスタンブルのバフチェリエヴレルで、弁護士により警察部隊に引き渡された。ガリプオールは出廷した裁判所の決定で逮捕され、マルテペ刑務所に勾留された。骨への検査の結果、殺人実行時には18歳未満であったことが判明し、「未成年」として裁かれることが決まった。

3/4  ラジオ・テレビ高等委員会(RTÜK)ザヒド・アクマン委員長辞任
司法裁判所は、ラジオ・テレビ高等委員会ザヒド・アクマン委員長と8人の委員、および、5名の官僚を、「司法決定に従わなかった」として、エルドアン首相による「捜査不許可」の決定を取り消した。司法裁判所は、これらの人々に関する書類をアンカラ共和国検察庁に送検した。裁判では1年から5年3か月までの刑が求刑された。任期が満了となったザヒド・アクマンにかわり、ダヴト・ドゥルスン教授が、委員長に選出された。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:18179 )