エジプトの大物俳優アーデル・イマームが「暴力沙汰で無礼」とデモを酷評したことに落胆の声
2011年02月04日付 al-Quds al-Arabi 紙


■アーデル・イマームがエジプトの革命を「暴力沙汰で無礼」と表現…がっかりです、ザイーム!

2011年02月04日付『クドゥス・アラビー』

【寄稿:パレスチナ人作家、ランダ・ズレイク】

アラブのことわざの数々に今ほど感銘を受けたことはない。どれ一つとして意味がなかったり、間違っていたりするものはないとつくづく思う。たとえば「誰それを知ってるかい?」「ああ、よく知ってる」「試してみたことはあるかい?」「いや、ない」「それじゃ、知らないも同然さ」。他にも、「災いやトラブルは人間の試金石」「人間はどんな立場を取るかで決まる」「誇りこそ徳」などなど。幼いころに習い覚えたこうした言葉のなんとすばらしいことか。(中略)

“ザイーム”ことアーデル・イマームが、エジプトで起きている革命を「暴力沙汰であり無礼」と評したことが、皆に衝撃を与えている。アラブ人全般、中でもエジプト人の労働者や貧しい人たちの側に立った役柄から始まって、アラブの星となったアーティストからこんな言葉を聞くとは思いもよらなかった。[訳注:アラビア語でボス・指導者を意味する“ザイーム”はアーデル・イマームが主演し、独裁者を揶揄する内容でアラブ世界中で大ヒットした舞台劇のタイトル。アーデル・イマームの代名詞となった]

 これ以前にハマースやヒズブッラーに反対した時にはまだ少しは我々にも理解ができた。だが、彼をスターに、ザイームに押し上げた自国民に反対する側に立つとは、我慢ならない。これまで私はアーデル・イマームをめぐって父とは意見が合わなかった。父は彼を自分の利益のためだけに動く偽善者だとみなしていたし、いざとなれば体制側の一人だという本性がばれるだろうと考えていた。まだ若くて、彼の役柄に心酔していた私はその時にはこの意見に賛成できなかった。だからこそ、“ザイーム”と信じていた人から受けたショックは大きかった。

 しばらく前にもエジプトの現体制とフスニー・ムバーラク大統領を称えている彼のインタビューを観たことがあった。そして革命が起きた今、彼がムバーラクを強く擁護し、国民がなぜムバーラクを罵るのかわからないと言っているのが聞こえてきた。「罵られるような何をムバーラクがしたというんだ? 彼らが画面越しに酷く大統領を罵るのを聞いたが、大統領は言い返そうとせずに彼らを許し、エジプトのために改善を約束したじゃないか」。何年もの間、彼が私たちと私たちのおつむを馬鹿にしてきたなんてありえるだろうか? 政権がエジプト民衆の不満のはけ口として厚顔無恥にも利用してきた、圧力なべの蒸気がたてる音に過ぎなかったなんて? 彼の作品の数々は、市民が暴発しないよう、政権が時々ばらまく鎮静剤に過ぎなかったんだろうか?
(中略)

競うように作品を発表し、ラマダーン月には素朴な視聴者の視聴率を競い合う俳優や歌手、詩人、作家、アーティストたちは一体どこに行ったのか? ここで私はエジプトの著名作家、バハー・ターヘルにぜひとも敬意を表したいと思うのである。ターヘル氏はエジプト最高の文学賞である「ムバーラク文学賞」を受賞したが、最近の抗議行動の最中に清いエジプト人の血を流した大統領の名を冠した文学賞を返上し、こうコメントした。「国家の最高賞であるとしてこの賞を2009年に受賞したが、私の良心にしたがって、本日この賞を返上する」。自由で誇り高きエジプト万歳。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:山本薫 )
( 記事ID:21376 )