コラム:エジプトの若者たちへ
2011年02月09日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ エジプトの若者たちへ、陳謝

2011年02月09日『クドゥス・アラビー』

【アブドゥルバーリー・アトワーン】

本日は、政治分析や大カイロでの進展の評価ではなく、それらの間隙から読める新たな側面に光をあててみよう。

執行猶予付きで野放しになっている大統領やその莫大な資産について書いたり、彼がいつどのようにして亡命地へ脱出するのか、あるいは今後の軍の役割などについての予測をひねり出すのを止めてみよう。

今日は、我々がこの30年間忘れかけていたエジプトの美点について記したい。隠れていたそれは、偉大なるエジプトのあらゆる町や村で起きている気高い革命の中で、新たに力と輝きを持って現れてきた。

それは、命が脈打ち愛国の情熱に燃えるエジプトの若者たちの顔をしている。彼らは、体制一味により迫害の淵に沈められ、取るに足らぬと過小評価されていた。わたしたちは、その彼らの饒舌な愛国革命の言葉、国と人々の尊厳を守る決意、変革の要請が正当であることへの揺るがぬ確信に打たれ声も出ない。

エジプトのアーティスト、高名な文人、学者たちがタハリール広場へなだれ込み革命に参加している。彼らは若者たちの前で謙虚にふるまい、一つの目標に向かい共に努力する決意と連帯にあふれている。エジプトの人々は以前よりずっと素晴らしく見える。青年たちはより若々しく娘たちは美しく、古老たちはより賢く、子供たちも年齢より成熟して見える。

わたしたちはエジプトのテレビ各局を忌避してきた。あまりにもくだらなく、ゲストは煽動的で司会者は偽善的、ニュースはひどいもので技術もお粗末だったからだ。ところがこれらのチャンネルでさえ生まれ変わったかのようだ。『アル=アハラーム』は、由緒あるエジプト紙だが、記事の割り付け、ニュース、コラム、ライターたち(例外もいるが)、トップ記事、何をとっても最低水準に落ち込んでいた。それが二日前から変わった。信じられないことに、同紙はタハリール広場の革命家たちの写真をトップにおき、一方でムバーラク大統領とUAE首長ならびに外相との会見には小さい見出ししか充てなかったのだ。

この30年で、7000年の文明を誇るエジプトは、シャルムッシェイクの小さな観光立国となり果て、リブニ、エフード・バラク、シモン・ペレス、ネタニヤフといった戦争犯罪者を賑々しく迎えるレセプションに興じていた。これらは、ガザで150万のアラブ・ムスリムを飢えさせる陰謀をめぐらせていた張本人たちだというのに。

エジプトは、まず国民たちの元へ帰って来たが、我々の元にも戻って来てくれた。屈辱の土を払い落し、パレスチナの人々の血に染まった傲慢な敵軍を睥睨しながら立ちあがったのだ。

エジプト革命は、政治を、フスニー・ムバーラクとその崩れゆく体制を超え、われわれ皆に教訓を与える。それは、国民が一丸となることの大切さである。[クリスチャンの]日曜礼拝には死者への祈りも含まれていた。ムスリムとクリスチャンが交代で自警にあたり、パンを分け合う光景が見られた。

革命家たちは、困難と災厄しか起きない時代に奇跡を起こしてみせた。強固に据え付けられ崩せないと我々が考えていた均衡を破って見せた。シャルムッシェイクでの最初のデモと共に穏健派枢軸は揺らぎ始めた。タハリール広場で最初の殉教者がでると、レバノンの3月14日勢力の同盟者たちはくずれた。ラフィーク・アル=ハリーリー首相暗殺にかんする国際法廷は、イスラーム共同体の抵抗の精神を倒そうとする米イスラエルの工作ファイルの中の古びたカードにすぎなくなった。

ロード・マップ、ミッチェル特使、カルテット、そんなものについての言葉は、もう聞かなくていい。サーイブ・ウライカート交渉局長がエルサレムの土地や聖地について、イスラエルに恥ずべき譲歩をするだけということもなくなる。

革命の歌が聞こえてくる。ウンム・クルスーム、アブドゥルハリーム・ハーフィズ、ムハンマド・アブドゥルワッハーブ、ウルヤー・チューニシィーヤら、アラブ・イスラーム革命時代のエジプトを象徴する歌手たちの旋律にのって意気高く。「帝国主義の時代は終わった。兄弟よ頭を上げよう」、「今やわたしの手には銃がある」、「時はわたしの武器」などのフレーズが聞かれた時代だった。

夢をみているようだ。しかし、昨日までとは異なる現実を我々は生きているのだ。毎朝しっかりと目を開けて。希望をもたらし士気を高める展開を見逃すまいとして、我々は眠れない。新たな夜明けが我々の共同体に近づいているに違いない。

エジプトの人々よ、ありがとう。我々の希望と自信を取り戻してくれた若者たちよ、ありがとう。最初の一閃を放ったチュニジアの若者たちもありがとう。変革の松明を掲げ、抑圧と恥辱の独裁政権打倒を叫ぶアラブ共同体の若者たちに感謝を。

そして、我々は彼らに謝罪しなければならない。彼らの事を良く思っていなかった。抑圧体制のウイルスに毒され、祖国の問題も考えられない脆弱な世代と思っていた。間違いをおかさない人間はいないということで許してほしい。どんな馬でも、特に青年期を過ぎれば、滑ったり転んだりするものだ。

久しく待ち望んだ古くて新しい真のエジプトを心から歓迎する。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:21436 )