コラム:リビア、二つの革命の狭間で
2011年02月16日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ リビア、二つの革命の狭間で

2011年02月16日『クドゥス・アラビー』

【アブドゥルバーリー・アトワーン】

数か月前まで我々は、リビアのニュースが少ないと文句を言っていた。読者の興味をそそり読みたいと思わせるようなニュースという意味なので、ムアンマル・カッザーフィー大佐がアフリカの指導者たちと会見したとか、イタリアの美人たちにイスラームについて講義したという類ではない。しかし、現在のジャマーヒリーヤ[大リビア社会主義人民ジャマーヒリーヤ国]では、国の次段階を示す事態が急速に展開中で我々にそんな愚痴をこぼす暇を与えない。

昨日、ベンガジで行われたブーサリーム刑務所殺戮事件(1996年)*の犠牲者遺族と連帯する平和的デモには数百人が参加した。そこへ体制の用心棒に支援された治安部隊が介入し、負傷者38名がでた。死者が出なかったのは幸いであった。

[*1996年7月29日、カッザーフィー大佐の命令により特殊部隊が刑務所を襲撃し拘留者1000人以上を殺害したとされる。]

ベンガジ市は、帝国主義的イタリアにとり常に頭痛の種であり、それは、王制からジャマーヒリーヤへ至るまでのリビアの諸体制にとっても同じであった。その住民は、隣国エジプトに直接影響を受け、ナセル革命やアラブ民族主義的思想に最も熱狂した人々であった。したがって、今回のエジプト青年革命にも大いに刺激されて当然である。

リビアは、西のチュニジアと東のエジプトにサンドイッチにされたような具合で、その二国の影響から逃れられない。そしてリビアの状況はその二国同様良くはない。それどころか、石油もガスももたないチュニジアの方が、生活状況としてはリビアよりずっと良いと言える。

カッザーフィー大佐は民衆革命の擁護者として、帝国主義、あるいは世界のあらゆる場所で目に付いた諸体制に対する抵抗運動への支援で知られるが、チュニジア、エジプト両国の体制については激しく肩入れし内外の批判を浴びていた。大佐は、チュニジアの革命を混乱と評したほとんど唯一の人物で、ベン・アリ政権を讃え、任期終了まで大統領を務めてくれたらと願った。また、タハリール広場の革命には少しも共感を示さず、ムバーラク支援者たちと連絡を取った少数派である。

リビア指導者は邸宅を所有していないし、土地の一片もその名で登録されてはおらず、数十億がうなる銀行口座を持っているわけでもない。しかし、その一族と取り巻きたちは、(ウィキリークスによれば)大佐の名と地位を利用して巨万の富を蓄え、ビジネス部門のほとんどを支配し、商取引をおさえている。

その父の後継者と目されるサイフ・アル=イスラーム・アル=カッザーフィー[カッザーフィー大佐子息]が所有する日刊紙『オウヤー』は、数か月前、賄賂、コネ、縁故の「三位一体」が国にはびこっていると訴えた。そのうえで同紙は、救い難い状況になる前に、リビア革命における第二の指導者アブドッサラーム・ジャッルードを召喚し汚職撲滅を最優先事項とする政府を形成するようカッザーフィー大佐に請願している。

商機を求めてリビアを訪れるビジネスマン全員が共有するのは、体制の取り巻きたちの間にはびこる汚職の話である。可能な限りの富をむしり取り、外国の口座へ流す彼らの果てしない貪欲さが話題となる。カッザーフィー大佐自身、公式なスピーチの中で一度ならずそれを認めている。政府高官は全員その資産を明示し、如何にしてそれを得たかを公開するよう求められ、汚職にかかわった疑いのある者は法廷へ送られるとの話だったが、それが実現されたことはない。カッザーフィー大佐は、汚職にかかわるものの中に近親者がいることを知っているのだろう。

リビアの国庫には石油収入(リビアは日に180万バレルの石油を輸出している)として年間500億ドル以上が入る。それにもかかわらず、教育、保健といった公的サービスの水準は低い。リビアの人が病気になると、ヨルダンかチュニジアの病院へ行くが、その二国にしても、石油収入があるわけでもなく、アラブの中では貧国とみなされている。

リビアにおいて、自由とはほとんど存在しないもので、国営テレビは一般番組もニュースも貧弱、国内紙は、革命当初やそれ以前に比べるとローカルなコミュニティ紙のようになっている。往時、トリポリ、ベンガジ発行の新聞というのは、自由を謳歌し、進歩的で、政府やそのトップどころか王個人でさえもしばしば批判する勇気をもっていた。

リビアの人々は、アラブの諸国民の中では最も素朴で慎ましく温和である。1970年代初頭、1年と少しリビア紙で仕事をしたことがあるが、彼らは真の愛国的アラブ民族であった。傲慢という文化はそこでは知られておらず、金持ちの家でも使用人をつかっているのは稀であった。しかし、「クスクス」や「ムバクバカ(パスタの一種)」など食べ物が充分であれば、彼らが満ち足りると考えるのは間違いである。リビア国民は、尊厳と社会的正義と自由を求めているのだ。

彼らは、より良い待遇を得てより大きく世界へ開かれ、自由を享受すべき国民である。最低の必要を満たすために現代的な行政機構を欲している。しかし、体制の取り巻きグループは、どうやら別の惑星に住んでいるらしく、周囲で起きている事を知らない、もしくは知りたくないのだそうだ。したがって、この人々が、エジプトやチュニジア、そして近々アルジェリアも入るだろう隣国にならって蜂起し、公正と正義、自由を執拗に要求したとしても、何ら不思議はない。リビア体制は頑健で、部族と革命委員会の民兵組織から支持を得ている。しかし、それはベン・アリ政権が有していたほど強圧的な警察組織ではない。そして、ムバーラク体制では軍の構成員より治安部隊の数の方が多かったぐらいだが、結局、その二国でも、軍あるいは治安部隊は、国民の要求に屈し体制を見送らなければならなかったのだ。

リビアでの最悪の事態を避けるため、まだ改革の機会がある。しかし、既に部族を動員し体制擁護派のデモが行われている。そのような人々が実際にいるということは、正当な国民の要請を代表する人々との衝突が予想される。それは不安定なまま国を次の段階へ、事によるとリビアの地理的統一を失わせるような段階へ導くかもしれない。それは、リビアに、いやいかなるアラブ国家にも起きてはならないことである。

チュニジア前政権の犯したミスは多数あるが、中でも最も危険だったのは、内部メディア(フェイスブック、ネット等)と外部メディア(衛星放送)が街頭の動きに対して演じる役割を過小評価していたということだ。リビア体制派によるデモのスローガンをみると、彼らもまた同様のミスを犯すところらしい。

改革、汚職根絶、自由の容認を急がないかぎり、エジプトとチュニジアの後、メディアの注目はリビアに集まるだろう。近い将来、トリポリ、ベンガジ、セブハーの広場は、リビア政治の中心としてタハリール以上にメディアの関心の的となる。「怒りの日」がその始まりとなることを願う。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:21536 )