コラム:サウジ、ファトワー、お抱えウラマー
2011年03月06日付 al-Quds al-Arabi 紙

■サウジ、ファトワー、お抱えウラマー

2011年03月06日『クドゥス・アラビー』

【アブドゥルバーリー・アトワーン】

チュニジア、エジプトが現体制の変革に成功し、他三つの革命がリビア、イエメン、バハレーンで目標実現に向け動き出した今、他のアラブ諸国へ目が向けられ始めた。シリアやサウジアラビア王国、スーダン、占領パレスチナまでも含まれるこれらの地で、人々は抑圧、不正、自由の不在に苦しめられている。

昨日、サウジ王国の政権救済に馳せ参じた高位ウラマー評議会は、その危険性を見過ごせない先制的手段を提起した。それは、抗議活動とデモ行為を禁じる「ファトワー[宗教指導者たちによるイスラーム法に則した見解]」発出に要約される。国民、特に若年層の間で興奮状態が高まることにより、それらのデモや抗議行動が勃発することを政府関係者らは懸念していた。

王国の大ムフティー[ファトワー発行の資格を有するイスラーム指導者]、アブドゥルアズィーズ・アールッシャイフ師率いる評議会が出したファトワーは、デモの「禁止」を明言し、「堕落することなく事を成就する合法的な手立ては、預言者ムハンマドも規定されたとおり、誠実で真摯な助言をすることだ」と述べている。

このファトワーが王国の最高宗教機関から発出されたタイミング、ならびにそれが「禁止」を明記している点は、どちらも非常に重要である。これは、SNSフェイスブック上で2万人以上の活動家が呼びかけたデモを制圧するであろう治安部隊に、宗教的合法性を与えることになるからだ。政治社会改革を求めるデモは、次の金曜、サウジ各都市で行われる予定であった。

「誠実な助言」が騒乱を避け、国の安定を揺るがすことのない理想的な手段であることについて異論はないが、統治者または「支配者」がそのアドバイスを受け入れ、その内容に則して動く事が条件である。そして、サウジアラビア王国では、少なくとも過去70年間、そのようなことは起きなかった。

王国の改革を求める人々は、為政者への膨大な「嘆願署名」の束を小脇に抱えている。汚職根絶、正義と平等の実現、富の公正な分配、選出議会により国民が国の決定に参加すること、憲法、三権分立、国家機構の現代化、様々な分野での自由、そのようなものを彼らは求めているのだが、為政者は、これらを進言する人々を拘束し刑務所に放り込む。そして、改革を求めるどのような嘆願書にも今後一切署名しないという誓約書に署名した後でないと、解放されない。

ファトワーの中でウラマーたちが警告を発した騒乱は、尊厳とパンの一口を求める若者たちの抗議デモの中には存在しない。騒乱は、自由、正義、民主的社会的改革を求める正当な訴えを、為政者が侮辱した時、ならびにごく限られた層により権力が独占されている時に起きる。

アラブ諸国民は、為政者の悪しき取り巻きたちによる抑圧とごまかし、腐敗した貪欲さと彼らのマフィア的振舞に最早耐えられない。同時に、ファトワーを出し、憲法を改正し、為政者の意に沿う論説をひねくり出す政権のお抱え説教師たちにも、これ以上耐えられない。為政者は、国民を抑圧し、正当な要請を掲げる気高い人々の口を封じる政策に、それら宗教家たちの見解を利用している。

もし、ムハンマド・アル=ブーアズィーズィーという若者が、行われた不正に止むにやまれず自らを焼かなければ、そして抗議革命が起きなければ、チュニジア大統領が全面的に譲歩しジッダへ亡命することもなかった。しかし譲歩が示されたのは遅く、国民の大爆発が起きた後だった。崇高なエジプトの青年革命がなければ、ムバーラク大統領がナズィーフ内閣を解散することもなく、世継ぎと目された息子を含む与党幹部を追放することもなく、9月の次期大統領選挙への不出馬を誓うこともなく、あらゆる方面からうとまれ辞任する羽目にも陥らなかった。辞任しても、彼とその一族は汚職と公金横領での起訴を免れない。

リビアのムアンマル・カッザーフィー(カダフィ)大佐には、沢山の人が助言をし、改革を要請し、国民を欺いて一族を優遇するのを止めよと言ってきた。返礼は、彼らを絞首台に吊るすことであり、刑務所や拘置所などで焼き殺すことであった。他のアラブの専制君主が皆するようなことだ。

アラブ諸国民は好きこのんでデモをしているわけではない。尊厳ある生活を求めているだけだ。焼身自殺や治安部隊の銃弾を求めているわけではない。その要請が皮肉とはぐらかしだけではなく侮辱をもって迎えられ、自分たちの尊厳が踏みにじられたと感じた時、声を枯らし切羽詰まった諸国民は通りへ出て、信念に満ちた胸を銃口にさらすのだ。

アラブの為政者たちは、国民を羊の群れであるかのように扱う。従順であれば、国民は彼らの眼には取るに足らぬものに見える。国民に緊急の必要があれば、彼らはいくらかのポケットマネーを出す。国王からの、あるいは大統領、政府からのお志が出てくる。特にサウジアラビア王国により行われる、このような敵対的行為は、ラーマッラーでもガザでも財政が破たんし献金で生き延びざるをえないパレスチナ政府にまで及んでいる。アッバース大統領に少し、ハニーヤ氏にも少しの栄誉をというわけだ。

デモの権利はサウジの人にとっては合法的なものだ。彼らの中にはリヤドやその他のサウジ都市周縁のスラム住まいの人々もいる。それは、この世に二つとないような場所だ。王国第二の都市ジッダで洪水により数十人がおぼれるなど考えられるだろうか。日に900万バレルを輸出し世界一富裕とされる国で、「アル=ムスク湖」下水処理施設[での事故]のようなスキャンダルが起きていいものだろうか。そして、若者の失業率が20%以上にのぼることが許されていいのだろうか。

アブドッラー国王は改革派である。しかし彼はこれ以上ないくらい周囲とずれている。それは、5年間で370億ドルを供与するというプランに現れている。それで住宅ローンを軽減し、結婚予定者を支援し、いくらかの雇用機会を作った。生活費高騰に伴い15%の賃金アップも決められた。しかしサウジ国民はそれ以上のことを求めている。公正な独立した司法、国の決定への参加、均等な雇用機会、それから立憲君主制、選出された国会の決定に従う執行権(政府)などが求められている。

我々はもちろん、サウジアラビア王国の安定、その国民と領土の一体性が固持されることを願っている。しかし、国民が求める改革を経ずして、それはもたらされないだろう。そして、「助言」方式が実を結ばず、国民の忍耐は限界にきており、マッチのひと擦りで暴発するまでになっているということは、改革の日はまだ遠いということだ。

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

Tweet

Tweet
シェア


原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:十倉桐子 )
( 記事ID:21751 )