イスラエル紙より:ムバーラク以後のエジプト展望
2011年05月12日付 al-Quds al-Arabi 紙

■イスラエル紙より:ムバーラク以後のエジプト展望

2011年05月12日『クドゥス・アラビー』

【5月11日付イスラエルTODAYから訳出】

エジプトは現在、その歴史上、新たな時代の始まりにいる。我々は新しいエジプトの複雑な諸問題に目を向けることができる。そうすることで、エジプトで起こるであろうことが理解できるのだ。

タハリール広場から出発した革命の精神は今もなお活きている。しかし、デモに参加した人々は統治権力の中心からは遠く離れたところにいる。「政府は民衆に仕えるものでなければならず、その逆ではない」「統治者は民衆が選ばなければならない」「全ての人に市民権を」といったタハリール広場で耳にした革命的な思想は、この国の市民、特にかなりの部分の若者たちの心に届いた。こうした思想は長期的には奇跡を起こすかもしれないが、今日そうした考えをしっかりと持っている人たちは、権力の座に就いている人々の集団には帰属していない。(略)

軍政によるエジプト統治がこれからも続くように思われる。軍はホスニー・ムバーラクの辞任に伴って統治を担ったわけではない。1952年の自由将校団によるクーデターで立憲君主制が廃止された時から、軍は統治を担うようになったのだ。それ以後、代々軍人がエジプトを統治してきた。ムハンマド・ナギーブ、アブドゥンナーセル、サーダート、ムバーラク、そして今の軍最高評議会タンターウィー議長。時の経過とともに、軍は政治的領域の実権掌握だけでなく、経済的領域にもその範囲を拡大した。今日、軍はテレビのアンテナからオリーブオイルにいたるまで、最も数多くのエジプト産品の製造を負っている。軍は権力と、そこから得られる贅沢な生活に馴れてしまった。このうまみを手放すことは、軍にとって容易ではないだろう。軍は自身の権力を維持するために必要なあらゆることをするだろう。軍はムバーラクやその一族が統治しようが、憲法を改正しようが、軍政への抵抗を力づくで鎮圧しようが、意に介さない。(略)

我々はこう言わざるをえない。軍は完全に世俗的なわけではない。自由将校団はムスリム同胞団の軍事部門から生まれたのであって、今日までイスラーム的な傾向を有している。第二に、ムスリム同胞団の脅威は、言われているよりも少ないと思われる。

同胞団は、組織上の大きな問題に苦しんでいる。同胞団は実際のところ、大規模な大衆運動ではなく、基本的に、甘やかされた指導者たちに治められている組織だ。ムスリム同胞団は、アル=カーイダのような、より過激なイスラーム主義集団からの批判に晒されている。アル=カーイダはムスリム同胞団の弱さを揶揄して、エジプトでは誤ってイスラームと結びつけられてしまった世俗主義の運動だ、と主張してさえいる。

実際、エジプト政界には、二つの顔を使い分けているプレイヤーがたくさんいる。(イラクやシリアの政界のように)。今のところ、軍とイスラーム主義者たちは、例えばコプト教徒のような宗教的マイノリティーに対して、また若者たちの真の民主主義勢力に対抗するために、協力しあっている。

例えば今の軍政は、イスラーム主義者に政党の設立を認め、ムバーラク政権時代に起訴され、刑務所に収監されていたムスリム同胞団メンバーの釈放を認めた。その見返りとして、ムスリム同胞団の指導部はムバーラク失脚以降の軍の行動を賛美し、軍の後援で行われる国民投票への支持を表明した。

その一方で軍は、ムスリム同胞団やイスラーム主義者に対する市民や世界の恐怖を利用することに長けている。軍は国内外におけるイスラーム主義の支配への恐れの名の下に、自身のエジプト統治の継続だけでなく、反対勢力に対する厳しい措置の継続も認めさせている。軍はムバーラク政権時代から、その秘訣を学んできた。例えば、ムバーラクは2005年の人民議会選挙で、88人のムスリム同胞団員の当選を抜け目なく許可した。こうすることで大衆や世界に対し、エジプトに潜んでいる危険を晒してみせたのである。そして、ムバーラクの専制が必要なものであるようにしたのだ。だが、こうした状況を明らかにしてみせた後に行われた2010年の人民議会選挙では、ムスリム同胞団の代表は1人しか当選させなかった。

結論を言おう。エジプトにタハリール広場から進歩の風と、ムスリム同胞団のイスラームの風が吹きつづける限り、うわべだけ取り繕いつつ、軍がエジプトを統治し続けると思われる。

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( 翻訳者:松尾愛 )
( 記事ID:22477 )