コラム:アラブの革命地図を読み解く
2011年05月18日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ アラブの革命地図を読み解く

2011年5月18日『クドゥス・アラビー』

【ユースフ・ヌール・アワド(スーダン)】

数日前私の注意を引いたニュースの一つに、バッシャール・アル=アサド大統領が反体制勢力との対話のための委員会の設置を発表したというニュースがある。この委員会の設置は、政権が治安部隊による解決に失敗し、国家側の正当化できない武力行使によりシリア国民数千人の死者が出た後のことである。大統領は誰がこのような対話を求めたのかについては言及しなかった。シリアで起こった政権に対する抗議運動は他のアラブ諸国と比べて比較的平和裏に始まり、当初求めていたのは自由だけであった。ところが政権側の武力行使により反体制勢力の抗議行動はエスカレートし、政権打倒 を求めるようになった。アラブ世界全体が歴史上の新たな段階に入り、革命に沸く時勢においてこのような要求はもはや非合法的なものではなくなっていたのである。

対話委員会を設置するためには対話を望むもう一方の当事者の存在が不可欠であるということに大統領はこの段階で気づくべきだった。そのような当事者は存在しなかった。なぜならシリア国民の大半はもはや恐怖をかなぐり捨てたからである。国民は疑問を抱いている。なぜ40年にわたる体制を父親から引き継いだ者が自分たちを支配するのか、国内にアサド大統領よりも優れた支配者はいないのか、バアス党はなぜ「バアス党は統治する権利を有する唯一無二の党である」という条項を憲法に盛り込むことにこだわるのか、と。今日のアラブ世界の現実の中で、バアス党のイデオロギーは最早全く存在感をもっていないのである。こうした事実から明らかなのは、シリアの統治体制が今日に至るまで、国が歴史上の新たな段階に入りつつあるということを理解するための用意ができていないということだ。これはシリアの政権だけの問題ではなく、体制に協力する多くの者たちの問題でもある。我々の考え方や見方に政治的な一連の作品を通して絶大な影響を与えた著名な俳優ドゥライド・ラッハーム氏はテレビに出演し、「シリア軍の任務は祖国の安全を維持することだ」と発言した。つまり軍は体制の安全を維持するためであればやりたいように行動するということだ。あのガウワール・アッ=タウシェ[※ラッハーム氏が演じていた喜劇の主人公]が、40年以上も前から占領下にあるゴラン高原の解放に軍が果たすべき役割について、何ら問いかけることをしていないのである。

こうした状況はシリアだけに限られるものではない。リビア国営テレビを見ていると、リビア国内で革命が起きていることを聞いたことすらないかのように思われる人々からの投書が読み上げられている。彼らはNATO軍が行っている「十字軍の植民地主義的侵略」について語り、カッザーフィー部隊が殺した数千の人々のことなど耳にすらしていないかのようである。またリビア国営テレビはカッザーフィーの息子であるサイフ・アル=アラブ氏と3人の孫の死に関して、カッザーフィーへの悔やみを長々と綴った投書を放送しているが、彼らの殺害された責任がカッザーフィー本人にあるということに気づいてもいないというのは全く奇妙なことだ。今重要なのは、事態が沈静化した後、カッザーフィーにリビアの統治を続けることができるかということだ。続けることができないのであれば、リビア国民に対して彼が攻撃を続行している正当な理由はどこにあるのだろうか。自分が民主的な手段で支配者になったのではなく、アラブ民族の歴史における暗黒時代にクーデタ主義者らが取ったのと同じ方法で権力を掌握したということは、カッザーフィー自身が承知しているのだ。

(中略)

こうした動き全てを注意深く見ると、「このような革命における支配体制の打倒は必然的にアラブ世界が歴史上の新たな段階に入りつつあるということを意味する」と考える一般的な傾向に流される必要がないということが分かる。真の変革は支配体制の打倒だけではなく、代わりのものを創り出すことによって実現する。代替となるものは現時点では存在せず、それをもたらすことは困難を伴う。なぜならアラブ世界は常に、西洋世界を見習うべき模範として見てきたからである。ところが今では、西洋世界が錆び付いた段階に入ったということを裏付ける証拠がいくつも存在し、西洋世界が主唱し続けてきた価値観の多くはもはや存在感を失っている。西洋世界は政治的・経済的な利益を優先し、価値を蔑ろにしているからである。

(中略)

我々が言いたいのはイスラエルは考え方を見直す必要があるということである。なぜならイスラエルを取り巻く世界は変化しているからだ。これまでパレスチナ人が多くの提案をしてきたにもかかわらず、イスラエル国内の右派強硬派はこうした提案に応じないことを選択してきた。エジプトの革命なしでは起こり得なかったファタハとハマースの関係改善が進んでおり、イスラエルはその意義を見過ごすことはできない。これまでに述べた事情を踏まえると、アラブ世界の地図は確かに変わりつつあるが、現段階ではっきり読み解くことはできない。我々に感じられるのはあらゆる可能性への扉が開かれているということだけであり、その大部分は変革の可能性である。

それゆえに、アラブのすべての政権は国民への対応の方法の変革へと向かわねばならない。アラブの体制がとるたった一つの選択肢が、シリア、イエメン、リビアで起こっているような暴力であるというのは理に適っていない。それよりもはるかに良い選択肢はたくさんあるのだ。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:秋山俊介 )
( 記事ID:22558 )