コラム:イスラエルは、シリア情勢に口を閉ざしてよいのか。
2011年06月19日付 al-Quds al-Arabi 紙

■デモ隊の遺体、ラタキアの海に投げ捨てられる

2011年6月19日『クドゥス・アラビー』、イスラエル紙「マアーリーフ」より抜粋

 アサド政権のシリア国民に対する暴力行為が続いていることが注目される中、アラブの報道機関は最近次のように自問している。欧米諸国がアサド政権に対して一刻も早く制裁を課そうと試みているにもかかわらず、アラブの支配者らが無辜の人々が抑圧されていることに目をつむり、口を閉ざすような事態がいかにして生じているのか、と。

 アラブ連盟やイスラーム諸国機構は暴力的な抑圧に対して「懸念」を表明するにとどまり、組織として弱体化していることを晒した。リビアに関してこれら機関は、外国部隊による武力行使を採択した安保理決議に賛成したものの、シリアについてはアサド政権が最終局面で抵抗してくることを危惧し、同国情勢に対して警戒を示している。

 一方、ここ数年アサド大統領とかなり親密な関係を築いてきたトルコのレジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、他のアラブ諸国がためらっていた一線を越えて、南の隣国で起きている事態に積極的に関与する姿勢を示し、多大な称賛を浴びている。同首相は、アサド大統領が与党レベルであれ国家機関レベルであれ、民意を尊重するような改革を実施する上でのさまざまな方法を提案した。同首相はまた、トルコ国内の選挙で勝利してからは、アサド政権の行動に制限を課すために圧力を強めている。さらに、アサド大統領の弟、マーヒル氏についても、国民に対して暴力を用いていると躊躇わずに批判した。なおトルコ政府は数千人のシリア難民に対する支援を早急に行い、シリア北部と接する国境地帯に難民のためにテントを設営した。

 その一方でヨルダンは、隣国シリアの情勢が落ち着きを取り戻すまでとして、シリアのダルアー県と接する国境を閉鎖した。この事実は、同国の公式声明によって明らかとなった。

 世界中のどの宗教にも、国民から忌み嫌われた体制が犯す残虐行為に口を閉ざしてよいとする教えはない。例えば、リビアでは反政府勢力に対する「抑止の道具」として数百名の女性が性的暴力を受けたり、ハムザ君というシリア人の12歳の男の子が死ぬまで拷問を受けたり、沿岸の街ラタキアで海に国民の死体が投げ捨てられたりといった残虐行為があった。だが説教師を務めるはずのイスラム法学者らは、自らの宗教的義務や人々に対する職務をなおざりにして、口を閉ざしたままである。

 トルコ政府は、国際支援を受けずに数千人のシリア難民を国内で保護できると明言した。これがまさに、ガザ地区に赴く次の支援船問題を影で支え続けようと試みるトルコなのである。今は、イスラエルにとって自らの人間的な側面を示す上で素晴らしい瞬間である。シリア難民をトルコ国内に受け入れる上でのロジ支援や医療支援、さらにこの任務を成功させるためにエルドアン首相が必要とするあらゆるものを提供すると申し出るべきだ。イスラエルとしては、シリアが民主主義とは無縁であったとしても、同国との国境地帯が静寂を保ち、同国の秩序が安定している状態を望んでいるのは明らかだ。

 しかし、私たちが口を閉ざしてしまえば、如何にして自分達を許すことができるだろうか。というのも、何十年も前には私たち自身が迫害された国民であり、息子や娘達は犯罪行為に苦しめられてきたからである。現在の状況において、私たちと無関係な問題に政治的に干渉することで、私たちを非難する者はいないだろう。私たちの干渉は、トルコ人に対しても良い兆しとなり、両国関係の改善に多少とも貢献するかもしれない。

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( 翻訳者:加瀬冴子 )
( 記事ID:22970 )