社説:アル=ジャズィーラTVのキャスターらに対する脅迫や中傷に抗議する
2011年07月10日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ クドゥスの意見:アル=ジャズィーラTVのスタッフに殺害の脅迫

2011年7月10日付『クドゥス・アラビー』

アラブ地域ではこのところ政治的・宗派的な分極化が進むなか、特定の勢力を支持するにせよ中立の立場をとるにせよ、報道人であることが難しくなってきている。何故なら灰色の姿勢は許されず、味方か敵かといった論法が支配的になっており、いずれの場合にも、自らのとった立場がもたらす結果を背負わなければならないからである。

何故今このようなことを述べているかと言うと、衛星テレビ局アル=ジャズィーラの仲間たちが殺害の脅迫を受けたからである。特に人格的な評判が高く、良きプロフェッショナリズムをもって知られた女性アナウンサーたちに対しては、「捏造」された猥褻な映像の添付されたメールが送りつけられた。

アル=ジャズィーラ・チャンネルが、アラブ数ヶ国で起きている民主的変革を目指す民衆の革命を強力に支持する姿勢を打ち出していることについては論ずるまでもない。その姿勢はずいぶん熱の入ったものであったし、革命への支持は時に行き過ぎたものであったかも知れない。しかし、だからと言って、アル=ジャズィーラTVやその人気キャスターたちがこのように不当で倫理にもとる脅迫行為に晒されてはならないのだ。

アル=ジャズィーラTVやその他のテレビ局と異なる意見を持っている者には、アラブ諸国の革命に対するそれらの局の報道姿勢や「行き過ぎている」と思う点について、自分の見解を表明する権利がある。しかし、対話における礼儀を欠き、対立や相違を表現するにあたってのあらゆる基準を逸脱した誹謗中傷行為を行う権利はない。

アル=ジャズィーラTV及びそのスタッフとの対立は政治的な対立であり、その枠組みの中にとどまるべきものだ。個人に対する攻撃などは厳に慎まなければならない。とりわけ局の最高責任者や幹部たちから出される命令や指示に従って業務を遂行しているキャスターやアナウンサーたちの場合には尚更である。

アラブ諸国の民主主義革命に対するアル=ジャズィーラの報道姿勢が時に煽動の側面をもっていることを、我々はよく認識している。また一部の映像が正確なものでなく、一部の目撃者らが出来事の現場から遠く離れたところで発言していることも、我々は認識している。またその報道によって、さまざまの利権や社会的・政治的集団から成る完結したシステムとしての諸国体制が崩壊することになるのかも知れないということも、我々は認識している。しかし、だからと言って、脅迫的な言葉を用いたり何の力も持たない人々を暗殺したりしてもよいということにはならない。彼らの罪は、自分たちの見解を全く自由に表明したというだけのことである。そしてそれは、異なる意見の存在を受け入れるべきだと信ずる文明的な人間なら誰もが尊重すべき権利なのである。

キャスターやジャーナリストの意見が体制側と異なったり、彼らが民主主義改革を求めたりしたからといって体制が殺害の脅迫を行うのは、それらの体制が「民主主義改革を実践する用意がある」とか「新しいメディア立法を通じて表現の自由を確立する用意がある」などと喧伝しているのは全ていい加減な、信用するに足らない話だということをはっきりと示している。異なる意見に対して殺害の脅迫をもって応じる者には、自由な報道を確立し、他者の見解を尊重し、多党制を根づかせることなど出来はしない。

我々はアル=ジャズィーラやその他のアラブのテレビ局が、過誤によってであれ意図的にであれ、間違いを犯したり行き過ぎたりしても構わないと言っているのではない。しかしそのような行き過ぎやプロフェッショナリズムに欠けた報道への対応としては先ず、これらのテレビ局や記者たちが現場から報道を行うための門戸を開放するべきであり、しかる後に、もしも報道姿勢がプロフェッショナリズムの基準から逸脱したならば、そのときに責任を問うべきなのである。

アル=ジャズィーラTVはかつて、仲間たちを脅迫する諸国体制を強力に支持してきた。その偏向姿勢はアル=ジャズィーラに対する最大の批判の的の一つであったし、それについて忘れたような振りをしたり見過ごしにしたりすべきではない。一部の人々はアラブ諸国の革命に対するアル=ジャズィーラの報道のあり方や、或いは常に革命の真の羅針盤であったアラブ民衆を支持するアル=ジャズィーラの姿勢のいくつかの側面について、慎重な見方を崩していないのだ。

本紙では常に、所属する組織や放送機関と我々の方向性が異なる場合であれ一致する場合であれ、同業の仲間たちが殺害の脅迫を受けたり嫌がらせに遭ったりした場合には連帯する立場をとってきた。また常に、仲間たちが全く自由に仕事をする権利を支持する立場をとってきた。したがって我々の為すべきことは、アル=ジャズィーラTVの仲間たちがこのところ直面している不当な脅迫やキャンペーンに対して、彼らと共に立ち向かうことである。我々は彼らと全面的な連帯の立場をとることを宣言する。何故なら我々のアラブ民族としての、イスラーム教徒としての倫理が命ずるところによれば、我々は個人的な中傷や、消音装置の付いた拳銃や人殺しの弾丸を用いるのではなく、議論には議論をもって、意見には意見をもって戦わなければならないのである。

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( 翻訳者:森晋太郎 )
( 記事ID:23260 )