シリア人詩人アドニスから大統領と反体制派へのメッセージ
2011年07月16日付 al-Hayat 紙

■アドニスからの2つのメッセージ

2011年07月16日『アル=ハヤート』

【ムスタファー・ザイン】

アラブの文化人の大半は、アドニスがシリア情勢に関して何を語るかを待ち望んでいた。アドニスは、本紙やレバノンのアッ=サフィール紙において、バッシャール・アル=アサド大統領と反体制派に対してそれぞれメッセージを送った。実際のところ、この2つのメッセージは、危機の本質をついているという点において、アル=アサド大統領や反体制派だけでなくアラブ世界の情勢に関わる全ての人々に向けられている。同メッセージは、アル=アサド大統領であれバアス党の理念に基づく同政権に対する反抗者であれ、現在の事態に至らしめた責任者を追及している他、40年にわたって政権の座についてきた同党が世俗主義の普及に努めず、政教分離や宗教界の政治不干渉に基づいた体制を作り出す「新たな社会」を構築してこなかったことを批判する。

しかし彼の批判は、宗教に敵対したり信仰深い人々を含む社会の成員の権利を軽視したりするものではない。世俗主義を主張してきた者たちが自身の宗教的ルーツを左翼的なスローガンで覆い、「欧州の模倣ではなく、我々にとって固有の民主主義を築き挙げるために自らのルーツに戻ろう」という主旨の呼びかけを行うものの、程なくして宗教的ルーツに立ち返っていると指摘している。

このような者たちは、社会の運動を自らの歴史から切り離し、「折衷主義」に陥っている。彼らは、「後戻りは不可能」との理由で過去に戻るわけでもなければ、我々が現在直面する問題に解決を示すわけでもない。「折衷」は、立場を明確化することから逃れることを容易にするが、そもそも折り合いのつかない相反する2つのものを無理矢理融合させることに他ならない。しかしこれは、ファーラービーの時代から現在に至るまで相も変わらず行われてきたことだ。

アドニスは、自らの思想書の大半で繰り返してきた問いを再度投げかける。「アラブの体制は50年代以降に自由や民主主義の名の下に形成されたが、なぜ隷属主義や暴政、権力とその特権への陶酔以外に何ももたらして来なかったのか。なぜ、政権の側につく人間であれ権力のために犠牲となる人間であれ、単なる踏み台や道具でしかなかったのか」と。このように問いながらも、「過去にとらわれている限り、また過去を始点とする限り、社会の発展はない」と結論づけている。

詩人はさらに議論を発展させて、自身やイラン革命を支持した者たちに批判の矛先を向ける。イラン革命の支持者たちは、同革命によって過去〔の伝統〕や歴史に根付いた民主主義体制が確立されると信じていた。しかしイランの体制は30年以上を経た今、西欧化の妄想にとりつかれた国王の独裁体制から宗教的伝統に基づく専制体制へと変容した。この「過去〔の伝統〕」は、我々の社会において対立や政治のあらゆる局面で引き継がれており、社会の価値観や法律を規定するだけでなく、個人や政治、社会のいかなる次元においても我々の歩みの方向性を定めている。

アドニスは、アラブの文化人の間で進行中の議論に的を絞ろうと努めたものの、ビン・ラーディンやアッ=ザワーヒリ、アル=アルウールを模範とする回帰主義者らの攻撃を受け、さらには若かりし頃は左翼思想に情熱を傾けていたものの右翼に転向した者たちからも攻撃を受けた。そのような元左翼の中には政治や思想について執筆する歴史家もいるが、奇妙なことにアドニスの文章を読み、それに関して議論や解釈を行おうとする者はいない。その一方でアドニスを読んだ者は、それまで同氏に抱いていた敵意を喪失している。

アドニスからアル=アサド大統領と反体制派に発せられた2つのメッセージは、アラブ社会の構造を読み解くものであり、その場しのぎ的かつ近視眼的な見解とはかけ離れている。アドニスはこのような解釈に基づいて政権や反体制派に対する批判を構築し、落ち着いた議論を必要とする問いを投げかける。先入観にとらわれて問題の責任を個人に帰し、裁きを行うことは、表面上は自由や人権を求めているように見えても、実際には民主化の名の下に専制や抑圧を呼びかけることになると考えているのである。

〔※アドニス:本名アリー・アフマド・サイード・イスバル。1930年シリア・ラタキア生まれ。詩人。ノーベル文学賞の有力候補者として幾度も名前が挙がっている〕

(本記事はAsahi中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:岡崎紀子 )
( 記事ID:23297 )