サウジアラビア国王がモスクでイードの礼拝
2011年08月31日付 al-Hayat 紙


サウジアラビア国王がアル=ハラーム・モスクでイードの礼拝

2011年8月31日『アル=ハヤート』

サウジアラビアのアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ国王がイード・アル=フィトルの礼拝を行った。礼拝は、アル=ハラーム・モスクと同モスクを取り囲む広場に一杯の礼拝者たち、レバノンのサアド・アル=ハリーリー元首相、数名の王子たち、ウラマー、部族長、大臣、文民・軍人双方の高官らと共に行われた。

イマームでありアル=ハラーム・モスクの説教師であるサーリフ・ビン・アブドゥッラー・ビン・ハミード師は、礼拝者らの礼拝の主導を終えた後で「喜び、嬉しく思い、幸せを感じ、あなたたちの周囲にいる人たちに幸福と喜びを広めなさい。イスラーム教徒が喜びの日に、彼ら自身について、そして彼らの宗教について、そして彼らのウンマについての美しい言葉や喜ばしい話を聞くことは適切なことだ」と語った。さらに、「一部の観察者は、今日のイスラーム教徒は試練、災難、騒乱、苦難を生きていると言うかも知れない。イスラーム教徒の間には、あらゆる土地に未亡人、殺された者がおり、あらゆる角には嗚咽や悲嘆があり、またあらゆる地区には追放者や捕虜がいる。また、屈辱、恥辱、分離、宗派主義および追放のイメージはありとあらゆる場所にある。まるで、世の中の状況の観察者が私たちの血以外の血を見ることがないかのように、そして、恐ろしくて目をそらしたくなるような私たちの怪我以外の怪我を見ることがないかのようである。私たちのウンマが他の諸国の証人である限り、私たちのウンマは継続しているのであり、証言する必要は残されていない。そして、私たちの使命が最後のウンマとなることである限り、私たちのウンマは時代の終わりまで残るであろう。ウンマの歴史の中では、数百、いや数千の偉大な者たちが生まれ、そして彼らの様に偉大な者たちが生まれてくるだろう。これはアッラーの摂理であるだけではなく、これこそがあなたがたを観察している人々の前に今後起こる事件、新たな展開、出来事、変化なのである」と述べた。

また、サーリフ師は「楽観主義者は起き上がるために倒れ、勝利するために敗北し、目覚めるために眠る。そして楽観主義者は災難によって確信を揺さぶられず、悲劇によって彼の決心を挫かれず、不幸な出来事によって彼の信仰が弱まることはない。人生における不幸はその人の高潔さに順応して上昇したり下落したりする。頭には白髪が生えるが、彼らの高潔さが老いることはない。自らに関する事を変えない者は、彼らの周りのものを変えることはない。皆が世界の変革を考えている時に、その中の少数であれ、誰が自分自身の変革を考えているのだろうか。」と指摘した。

同師は説教の中で、「楽観主義は現実を否定せず、問題を軽視せず、また問題の原因を放置せず、そして物事に断固たる決心をもって臨み、行動計画に予備の道を準備する。しかし、力強く偉大なアッラーは、その公正さをもって、喜び、爽快さ、歓喜、精神の安らぎ、精神の静けさ、精神の安寧を満足と確信の中で与えたもうた。また、憤りと疑念に満ちた悲嘆や嘆きを与えたもうた。それ故に、あなたの現在を過去に起きたことに対する悲嘆で損ねてはいけない。このように、未来に対する楽観主義は、心の健康と魂の清らかさの証となる」と指摘した。

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( 翻訳者:増田里紗 )
( 記事ID:23807 )