信仰の弱体化 グループ「ラーキン」はどこに?
2011年09月21日付 al-Hayat 紙

■信仰の弱体化 グループ「ラーキン」はどこに?

2011年9月21日 『アル=ハヤート』

【ダーウド・アッ=シャリヤーン】

大統領に属するアルジェリア人権委員会は、声明でフランスが「民主主義と自由の擁護という口実で独断的に」リビアに干渉していると激しく非難した。同人権機関の代表は、「リビア人がアル=カッザーフィーを拒むのは、彼らだけの問題である。しかしながら、我々の立場は純粋に人権の側面から生じたものである。何故なら、リビアにおけるフランスの振る舞いは醜聞だからである。」

この機関の状況とその動機から離れてみても、同機関の声明はリビアへの干渉に対するアルジェリアの立場を表明しているのだろうか?声明の内容は我々にとって奇妙なものである。またこの声明のような内容はアラブ世界の報道と文化的言説において禁止されているも同様になった。「ラーキン」グループですら、この問題では存在感を発揮しなかった。同グループは、サッダーム・フセイン拒否を訴え、その立場を「ラーキン(しかし)」という言い回しでまとめ、結局はフセインの存在擁護で終えたグループである。「ラーキン」グループのようなやりかたでさえ、最早西洋諸国によるリビア干渉を拒む者はいない。さらに悪いことに、「ラーキン」グループはリビアへの外国の干渉を歓迎し、干渉を拒む者を裏切り者と非難する集団になり下がった。同グループは、かつては外国軍に頼ることを拒否する、という文脈でイラクによるクウェイト占領を容認していた。

一部アラブのエリートたち-読者が望むのならばいわゆる「アラブの左翼」たち-が諸体制を暴力で転換するために外国が干渉する問題に対してとる立場が絶望的なものであることは間違いない。彼らは何十年も精神的植民地化の危険性について議論して生活してきた。現在彼等は、精神的植民地主義を拒否するよう呼びかけた相手を裏切っている。彼らは20年前、サッダーム・フセインをイラクから追放する件で空の雲に届くような(高尚な)議論を惹起したにもかかわらず、リビアへの西洋の干渉をかれらの理解の中では別の問題にすり替えたのである。

リビアへの干渉は、イラクへの干渉とは異ならないだろう。またフランスやヨーロッパの新聞の一部を読んでいる人は、リビアにおける「NATO」の役割に関する議論は自由や民主主義とはなんの関係もないと認識するだろう。

確かにアル=カッザーフィー大佐の政権は権威主義と抑圧を行った。そして、リビア人民に対して罪を犯した。そしてテロ問題に対して国民の財産を浪費した。また、アル=カッザーフィー体制に対するリビア人の戦いで、リビア人の側に立つことは論を待たない。しかし、相違点は外国の干渉問題の議論について沈黙したこと、そして、外国の干渉への対応で、干渉を自由のための手段とみなしたことである。リビア情勢について外国の干渉と自由をこのような単純化によって同一視したことはさておき、この経験は他の諸国でも繰り返されることになるだろう。

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( 翻訳者:渡辺亜実 )
( 記事ID:24035 )