アラブ監視団とその行為者の無知
2012年01月10日付 al-Hayat 紙

アラブ監視団とその行為者の無知

2012年1月10日『アル=ハヤート』

【アル=ヤース・ハルフーシュ】

もし、イラク前政権時代の反体制者たちや、リビア、チュニジア、エジプトの革命家たちがアラブ連盟に頼っていたならば、サッダーム・フセインやザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー、ムアンマル・アル=カッザーフィー、フスニー・ムバーラクといった人たちは今日の政権に存在していたはずである。このことは、バッシャール・アル=アサド体制が遅れて学び取った教訓である。同体制は、遅れはしたが、「シリアの主権」を軽視する形で、アラブ監視団の受け入れを急いだ。彼(アル=アサド)はその(シリアの主権)保護を望んでいると言っていたのだが。また、これは、シリア反体制派が学ばねばならなかった教訓である。反体制派は体制転覆を目的としていると言っているのである。

 実際のところ、シリア政権にしろ、反体制勢力にしろ、監視団の出す解決策より良い解決策を持っていなかった。体制側はその解決策を、国際化グラスに比べて、苦味が少ないグラスだとみなし、いまだにそうみなしている。その一方で、反体制側は、監視団はシリア治安機関を当惑させる妥当な方策を提示できる、と見た。つまり、監視団が、脅迫観念のような殺人行為を止めさせ、刑務所を開放するとともに、囚人は釈放され、そしてアル=アサド体制の退去を求める数百万のシリア人が、監視団の監視のもとに、平和的デモを行う、その前には治安機関による恐怖の壁は取り払われているだろう、このように反体制側は見ていた。

 しかしながら、反体制側が発見したのは、監視団は体制を崩すつもりはなく、それが彼らの任務ではないということだった。監視団がシリアの通りにいるのは、その送り主であるアラブ連盟と、それを受け入れるシリア政府との間で調印された協定の結果でしかなく、その協定というのも、そもそもの始まりからシリア体制に正当性を与え、また反体制派に比べてより強力なグループ、という位置づけを定めたものだった。このことは、シリアの反体制派には、監視団の身元や政治的傾向が一番最後に知らされたことを考えると、これはますます真実である。そのときに、誰を望み、誰を望まないかに関して、シリア政府の手に拒否権がのこされたのである。

 従って、一昨日行われたアラブ閣僚委員会の会合と、そこでムハンマド・アッ=ダービー団長が提出した最初の報告書に関する議論があった後に、監視団の役目について公にされた論争は、不思議なことではなかった。アッ=ダービー氏がシリアでの任務中の声明の中で何度も強調していたが、それは、監視団の任務は体制転覆を支援するのではなく、むしろアラブ連盟の計画の実行を確実にするもので、如何なる項目においても、現政権の将来に関する如何なる目的も書かれていない。そして、ハマド・ビン・ジャースィム氏が事あるごとに言及したように、この事柄シリア人次第なのである。

 そして、連盟とその見本に従ったアラブ監視団「中立的な」報告が提出された。アラブ計画に特徴付けられた明瞭さ、すなわち、それは特に、全ての暴力行為の停止や囚人の釈放、町々から武装化された外見を払拭すること、マスメディアが真実の状況を報道出来るようにすること、などにもかかわらず、報告書は行為者の無知を故意に装っている。例えば、デモ参加者たちへの発砲や町々周辺の軍用車、反政権と分類されているメディアなどについてである。

 さらには毎日生じている死者についても、その死者が体制支持者であったか、反体制側の人間であったか、監視団は情報を得ることが出来なかった。同様に監視団は以下の永遠の問いにも答え得なかった。「なぜ反体制デモ以外のところでは死者が出ないのか?」かくして、監視団はもともとシリア当局の計画項目の実施を監視するためにシリアに行っているのだが、監視団の報告書は、シリア体制がアラブ連盟の計画の項目を履行を怠っていることを記録する代わりに、体制派と反体制派の中間に立つことを試みたことを記述した報告を行った。これは、会議室や会議の中でのアラブの抗争や気まぐれな意見の相違を集約している。

(後略)

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( 翻訳者:丸橋遼太 )
( 記事ID:25136 )