荒れた大地の傍ら、 スーダンの人々の血
2012年04月21日付 Al-Ahram 紙

荒れた大地の傍ら
スーダンの人々の血

2012年4月21日『アル=アハラーム』

【カイロ:ファールーク・ジャウィーダ】

エジプトとスーダンが一つではない日は想像もしていなかった。私は以前も、また依然として、1月革命の最も大きな誤りは、ナイル渓谷の統一を分離させたことであったと考えている。またムスタファ・アン=ナハース・パシャが「私の運命をかけても、スーダンはエジプトから離すな」と述べた時、彼は正しかったのだと思ってもいる。

もしスーダンがエジプトから分離したことが、最大の誤りであったなら、南スーダンが北スーダンから分離したことは数ある間違いの根源である・・。スーダン議会が、昨日までナイル渓谷体系の一部であった南スーダンに対して宣戦布告をしようなどと、いったい誰が信じたであろうか。そこでは現在、スーダンでは北と南のスーダンの人々の間で激しい戦いが繰り広げられている。何年もスーダン北部で同胞と共に暮らし、およそ南部へ行ったことなどなく北部でずっと生まれ育ってきたであろう、南スーダンの人々の移民が数か月前から実施されている。今、これらの人々がお互いに殺し合いをしているなどと誰が信じるであろうか、たぶん、自分たちの親戚兄弟もその中に居たであろうに。きっとこの先、北スーダンの軍人が南部国境へと赴いた彼の同胞を見つけ、軍事命令で互いに殺し合うことは何ら不思議なことにはならないのであろう。これより大きな悲劇が他にあるだろうか?

自決と自由の決定の主張を前にして、北スーダン政府は統一スーダンを分離させた。その決定に携わった関係者らは当時、その分離が国際的に企てられた陰謀であり、またほとんどの人が嵌った罠であったこと、そして「分離」が死を意味することを知らなかった。すなわち、体が二つに分けられた時、人としての生活は困難に陥り、否、その生を完結するのは不可能である。南スーダンが北スーダンから分離したために起こったことは、いかなる理由にもかかわらず、人のつながりは、政治の駆け引きや、損得勘定の数学の方程式とは完璧に異なるということを示すのみなのである。その理由には一分の理があるにせよ、である。

現在、単一国家の国民の間で行われている南スーダンでの多くの戦闘は、南北分離による最初の成果である。この血塗られた分断のもとでは、北であろうと南であろうと将来はない。その分断は、まさに国民から治安、安定、将来を奪った統治者の罪である。

エジプトの片割れ(スーダン)で起こっていることは、悲しむべきことである。

スーダンが血を流せば、エジプト全ては苦しみ喘ぐ。なぜなら、ナイルを分け合い、その血もまた分け合っているのだから。

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( 翻訳者:西舘康平 )
( 記事ID:26168 )