シリアへの懸念
2012年05月12日付 al-Hayat 紙

■シリアへの懸念

2012年5月12日『アル=ハヤート』

【ムスタファー・ザイン】

アラブ世界はアイデンティティーの危機を生きている。現存の政権は、これを乗り越えることが出来ず、また多くのグループも解決方法を見つけることが出来なかった。提案された政治的モットーやプログラムも、これらのグループ(イラクでは「構成要素」と名づけているが)を結びつける共通の基準とならない。シリアを例にとってみよう。バアス党の提案したアラブ主義は、その名によって、宗派、教義、民族、競合グループのための包含的な枠組みを治めるはずであった。しかしながら、このアラブ主義は、政治的アイデンティティーとして、シリア及び他の国において、アラブが、別のアラブに戦争を仕掛けるという局面にまで達した論争の主題となってしまった(クウェイト占領や、イラクに対する多国籍軍の戦争)。この意味では、モロッコとアルジェリアとサハラの住民との間の戦いも忘れることは出来ない。また、一部のアラブがイスラエルとの和解を行ったのも忘れることが出来ず、また他のアラブも、そのような行動にでる途上にある。アラブは誰が敵で、誰が友人であるのか、で争っているのである。

政権内で言えることは、反対派においても言える。いかなる会議やシンポジウム、国際およびアラブの圧力、財政的な誘惑も、シリアの反対派を、政権追放の代償に、統一した計画へと集めることは不可能であった。「国民評議会」は、その全力で外国の軍事介入を進めようとしており、今までのところ、この介入は今の時点では不可能であることを確信するに至っていない。そして、ある反対派は介入反対である。また、ある反対派は当局との対話を支持している。さらにある反対派は全ての枢軸に対して不信である。ある反対派は武装の暴力に賛成である。ある反対派は平和的デモに賛成である・・・等々。

イスラーム思想の持ち主たちも、「同胞団」とサラフィストと「アル=カーイダ」に分裂している。彼らの相違は政治を超え、立法にまで至っている。あるものは、政治を、後継の準備であることを望んでいる。またあるものは、政治を、一般の行政関係ではなく、社会や個人のしつけの道具であることを望んでいる。その一部はトルコの例に倣い、また別の一部はイランの例に倣う。さらに別の一部は何の例にも倣わない。

この「産みの混乱」の状況において、これは宗教的提案を新保守主義のアメリカ人が、トーラ(律法)から引き出してくる宗教的提案の機会を作る。しかしそれは、組織的に、武力的、思想的に、殺戮と破壊というゲームを行う「アル=カーイダ」より価値があるものとはいえない。また、イスラーム世界の全ての場所にある、既存の政権を継承することによる「神権」への批判がある中で、「アル=カーイダ」より望ましいものでもない。

政治的イスラームの中の分割は、国家主義、右派、左派のグループにおいての分割以下ではない。これは、イスラーム法学の教義の間の分割をそれに加えなければ、であるが。そしてこれは、自然なことであり、宗教が人類に影響を与え、人類が宗教に影響を与えるのではない、という考えは正しくない。(アミーン・マアルーフ『殺人者のアイデンティティー』)この彼らの軋轢は、既存の独裁政権に、他の種類の、聖別されたもので武装した、別の種類の独裁の形をつけ加える。

この蓄積した軋轢の中で、コフィー・アナンのシリアにおける内戦の勃発への警告は、適時のものでなくなる。戦争は、シリア人にとって毎日の現実なのである。ヒムスのアル=ハムダニーヤ地区や、ハマーの郊外、アレッポ、ダマスカスの一部の地区から移住した人々はそのことを知っている。また、そのことは誘拐や殺人にあった家族や、暗殺の危機にさらされてしまったり、さらされようとしているものは、そのことを知っている。

イラク化は抵抗運動の最初の日に始まった。ウェブサイトを立ち上げることにより、シリア人を宗派、教義、民族で分けることが始まった。それらは全て、固有の作法、神話、知識、歴史を持っている。

内戦はある集団が他の集団に対抗するために武装したことから始まった。「アル=カーイダ」が始めた作戦が、その中にはこの2日前に起きたダマスカスでの作戦があるのだが、この国内の現実を体現化した。この内外が参加する戦争の現実を、である。そして、全てがシリアへの懸念を表明しているのである。

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( 翻訳者:山﨑やよい )
( 記事ID:26371 )