「マシュルーア・ライラ」、ポップ体験、スナッピー・ジャズに触れて
2012年07月17日付 al-Hayat 紙

「マシュルーア・ライラ」、ポップ体験、スナッピー・ジャズに触れて

2012年7月17日『アル=ハヤート』

【バアルバック(レバノン):ジャード・アル=ハッジ】
あなたは廃墟の地で、「ルーツ」に思い当たるだろうか? 「マシュルーア・ライラ」のコンサートの間に突然の問いが、それほど考えずに浮かんだ。このコンサートをもって、一昨日の夕方、バアルバック・フェスティバルは終了した。しかし、この問いは、論理的には、おそらく音楽の性質から出て来たのだろう。この性質は、2008年に舞台に踊り出、2年前にはビブロス・フェスティバルで最初に多くの観衆の前に立ったこの若者グループが作り上げ、充実させているものである。そこで、特に、20世紀の最後の10年に生まれたものの間で、彼らは驚くべき賞賛を勝ち得た。

「マシュルーア・ライラ」の音楽は、文化断絶の時期における創造の意味で、騒々しい型式である。文化断絶は脆い性質の社会の中での闘争が生んだもので、それらの脆弱な社会は、伝統への関係の浅薄さや模倣の崩壊による。そして、急進的にすべての期待を、違う向きに変える。新しいリズムや様式に、多様な芸術的才能が芽生えるのは自然なことである。しかし、音やリズムの借用を通してのゼロからの出発は、我々に過去と現在の間の継続性や有機的な相互依存に関する問題の考察に導く。将来の開拓は言うに及ばず。

「マシュルーア・ライラ」の歌は、現在の問題や、グローバリゼーションや西洋音楽との同時代的交信などの要素で形成された現実を反映した生活、また、加えて、その周辺社会の低迷による影響を扱う。また、自動的なコメント的アレンジの歌詞は、経験やまじめな感情を取り上げることを試みる。

「さあ、町を焼き、もっと素晴らしい町を作ろう/ さあ、この時代を忘れ、もっと素敵な時代を夢見よう/それにしたって、何にも持っていない。失うものはない/ 私は自分がいやになったわ/前は別の世界がほしかった。わからない、どんな風に世界が私を変えたのか/ 前は空を支えたかった。今は自分をようやく支えてる/ 私はいいよ、と言って。私はいいよ、と言って/」これは非常に高い声のトーンを享受するハーミド・スィンヌーが演奏する。伴奏があるが、これはメタルロックと繰り返しのメロディー組み合わせで、巧みなバイオリン(ハーイグ・パパズィヤーン)と、ドラムシンガー(カール・ジョルジョス)、二つのギター(アンドレ・シャディード、フィラース・アブー・ファハル)、ウマイヤ・ムラーアブの創作オルガン、イブラーヒーム・バドゥルのリズムなどのバックがつく。

「マシュルーア・ライラ」は、西洋ポピュラーミュージックあるいは現在若者の中で広く聴かれている「ポップ」と、ズィヤード・ラハバーニーで知られているようなスナッピー・ジャズの間で、総合的な熟練の領域に入る。しかし、ここでの違いは、ズィヤードはオリエンタルものを彼の音楽に関わらせないことを選択したのであるが「マシュルーア・ライラ」グループは、そのクラシック性や試験的な部分で、西洋音楽の形式や特徴を融合するという行き方をしたことである。

そして、アラビア語の歌詞の発音や演奏の方式は時々、ハーミドの言によれば、音声の基準と異なるようであり、時々それを理解するのが困難になる。さらに、それにより、言っていることがわからないほど、ひどく難しくなる。そして彼は飛び上がり、製粉器を止めようと奮闘しているかのように腕を振り回す。しかし、これは「マシュルーア・ライラ」の才能の欠如を意味しているのではなく、音楽の変化の形成に貢献するであろう最初の要素であり、グループのメンバーには確かにそれが可能であろう。おそらく、彼らには、歌詞とメロディーと音の間のバランスの実現を命ずる一押しのみが必要なのかも知れない。

(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介
されています。)

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( 翻訳者:山﨑やよい )
( 記事ID:27039 )